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3、サンフランシスコ講和条約

大惨禍とともに第二次世界大戦が終結した後、数年間、日本は世界の国々からは敵国とみなされ国際社会に復帰できない状態だった。日本が国際社会に復帰したのは、1951年にサンフランシスコ講和条約((13)参照)が結ばれて約50か国との間で講和が成立した後である。

 (13) http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

日本が多数国との一括講和を希望したため、米英が中心となり対日講和条約を作ることを世界各国に呼びかけた。その結果、サンフランシスコ講和条約が結ばれることになり、条約の内容を決めるために日本及び旧連合軍を構成した西側諸国が1年以上調整を続けた。このとき、ソ連は朝鮮戦争で米国と対峙しその後に長く続く冷戦が始まった時期であったため、話し合いに参加していない。東側諸国も同様であった。

日本が千島列島を放棄したのは、以下のサンフランシスコ講和条約第2条(c)による。

 (14) 第二条(c)
 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約
 の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対する
 すべての権利、権原及び請求権を放棄する。

上記条文について調整していた時、米ソは朝鮮戦争で対峙していたため米国にはヤルタ協定で提案したソ連への権益提供を積極的に保障する意思はなく、同条約締結に先立ち米上院で議論が行われた際、米上院では「ヤルタ協定を無効とすること」が議決され確認されていた。そういう状況にあったため、第2条に関しての各国間の調整において米国はヤルタ協定を反故にしたい旨を英国に打診したが、大戦時に東南アジアで日本軍により大損害を被った英国やオランダでは国内の反日感情が大変強く、英国が懲罰的な意味から「日本がソ連に領土を割譲することを条約中で明記しろ」と強く主張して譲らなかった。米国の対日感情もよかったとは言えない時代であり、また、米国は敵対する相手ではあってもソ連が参加する全面講和条約の成立を志向していたこともあって、やはり懲罰的な意味を込めて「日本からソ連に向けた割譲ではなく、日本にただ領土を放棄させる」と譲歩することで英国に承認させて千島列島に関する条文をまとめ、ソ連が条約に参加することを待った。ソ連が同条約を批准すればソ連は同条約を用いて「日本は樺太・千島を放棄している」と自動的に主張できることになるから、そう設定して米国はソ連が対日講和条約を批准するように仕向けた。

ただし、ソ連が条約に参加しないのに権利や利益を得ることを防ぐため、米国は「当該条約を批准しない国は、当該条約の条文を使っていかなる利益も引き出せない旨」の条文を新たに第25条として加えた。(以下参照)

 (15) 第二十五条
 この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二
 十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合
 に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二
 十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国で
 ないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるもので
 はない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいか
 なる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のため
 に減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

この25条の存在は、同条約を批准していない国に対しては強力であり、法的・公的に一切の権利をサンフランシスコ講和条約から導けないことになる。日本が樺太・千島を放棄することが規定されている条約はサンフランシスコ講和条約唯一つであるから、25条の存在により、同条約を批准していない国が日本に対して「樺太・千島を放棄している」と指摘できる可能性は0ということになる。対ソ(ロ)交渉においては、この規定がもっと積極的に使われるべきであったのに、後述する日ソ共同宣言の条約締結交渉時にそれらが使われた痕跡が見えない。そのため、市販の書物に書かれた交渉過程を読む限り、ソ連によって何度も「日本はサンフランシスコ講和条約により樺太・千島を放棄している」と指摘・主張され、交渉において日本側が守勢となっている。

当然のことながら、サンフランシスコ講和条約を批准し同条約の条文を利用して利益を得ようとする国には、任意の他の批准国が紛争として国際裁判所に提訴した場合、自動的にその裁判を受けなければいけない義務((16)参照)が規定されている。

 (16) 第二十二条
 この条約のいずれかの当事国が特別請求権裁判所への付託又は他の合意さ
 れた方法で解決されない条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認め
 るときは、紛争は、いずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所
 に決定のため付託しなければならない。日本国及びまだ国際司法裁判所規
 程の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准する時に、且つ、
 千九百四十六年十月十五日の国際連合安全保障理事会の決議に従つて、こ
 の条に掲げた性質をもつすべての紛争に関して一般的に同裁判所の管轄権
 を特別の合意なしに受諾する一般的宣言書を同裁判所書記に寄託するもの
 とする。

米国は、この条項により「日本側に不満があるときは、裁判で解決する道」を残した。実際、サンフランシスコ講和会議において、米国代表は「歯舞・色丹などは放棄した千島列島に含まれないと米国は考えているが、もし紛争があるのならば22条により解決されるべき旨」を述べている。この発言は、日本政府による交渉段階における米国への説明と日本代表の吉田茂による「千島は日本が平和的に得た領土であり、ソ連の主張する『暴力や戦争で得た領土』には当たらない旨」の主張に呼応してなされたものである。また、米国は「この条約が決定的なものではない旨」「もし疑点があれば、この条約以外の国際的な解決手段に任されるべき将来の可能性を残す旨」も発言している。つまり、サンフランシスコ講和条約による取り決めは最終的な決定ではなく大枠を決めただけのものであり、細部の決定は国際裁判等の手段に残されていることになる。

米国は以上のように条文を準備してソ連が条約に参加することを待ったが、結局、ソ連はサンフランシスコ講和条約を批准しなかった。この結果、樺太・千島に関しては、日本が千島列島を名宛人もなくただ放棄させられただけになった。一方、ソ連も条約を批准しなかったため、上述の第25条により、「日本が同地域を放棄したこと」及び「ソ連が同地域を領有する根拠」を何ら主張できない状態になった。

ソ連は同条約を批准していないから、日本が国際裁判所へ提訴してもそれを受ける義務は発生しない。実際、1972年に大平外相が提案した「国際裁判による領土問題の解決」をソ連は断っている。しかし、ソ連(ロシア)は同条約を使い「日本が樺太・千島を放棄した」と主張しているから、ソ連(ロシア)は「義務を果たさずに、権利だけを主張している状態」になっている。日本政府は、このような国際法上なんの根拠も存在しないソ連による千島領有について「不法占拠である」と主張している。いずれにしても、ソ連が同条約を批准しなかったために、日ソ間に何も平和条約的なものが存在していない状態が続いた。日ソ間の戦争処理と領土問題の解決は、サンフランシスコ講和条約とは別の新しい条約に任されることになった。これは、サンフランシスコ講和条約が予見して企図していた戦後処理の方法でもある。

(*d) 領土問題とは関係ないが、サンフランシスコ講和条約では基本を「無賠償」としたが、英蘭軍捕虜に対する日本の国家的な戦時国際法違反による虐待行為については例外的に補償の対象とした。このことは、後にフランスによって提唱された「個人の人権は、国家によって勝手にデロゲーションされない(国が勝手に個人の請求権を奪えない)」という考え方の先駆けになっている。わざわざこう指摘したのは、前回の「2、終戦前後に起こったこと(日ソ間の出来事) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02」で述べたシベリア抑留者の問題と関係するからである。
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