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過去の外交の経緯を無視するロシア

また、ロシア外相ラブロフがおかしなことを主張している。(毎度のことであるから、今回は簡単に指摘するだけにする。)

 https://www.sankei.com/world/news/190531/wor1905310020-n1.html
 >…ラブロフ氏は、日ソ共同宣言には、「平和条約の締結後」に2島を
 引き渡すことが記されていると強調。同氏はさらに、共同宣言では2島引き
 渡しが「ソ連の善意」として扱われており、「宣言に署名した時点で双方は
 (北方領土を)ソ連領とみなしていた」との主張も持ち出した。…

日ソ共同宣言中に現れる領土関係の文言については、ソ連側が上記ラブロフのように主張できないようにするため、日本側は予め以下のように言質を取ってある。

  一九五六年九月二十九日付グロムイコ次官発松本全権あて 返簡

   本次官は一九五六年九月二十九日付の閣下の次のとおりの書簡を受領
  したことを確認する光栄を有します。
  『本全権は一九五六年九月十一日付鳩山総理大臣 の書簡とこれに
  対する同年九月十三日付ブルガーニン議長の返簡に言及し、次のとおり
  申し述べる光栄を有します。
   前記鳩山総理大臣の書簡に明かにせられたとおり、日本国政府は、現
  在は、平和条約を締結することなく、日ソ関係の正常化に関し、モスク
  ワにて交渉に入る用意がある次第でありますが、この交渉の結果外交関
  係が再開せられた後といえども、日本国政府は、日ソ両国の関係が領土
  問題をも含む正式の平和条約の基礎の下に、より確固たるものに発展す
  ることがきわめて望ましいものであると考える次第であります。
   これに関連して、日本国政府は、領土問題を含む平和条約締結に関す
  る交渉は両国間の正常な外交関係の再開後も継続せられるものと了解す
  るものであります。
   鳩山総理大臣の書簡により交渉に入るに当り、この点についてソ連邦
  政府においても同様の意図を有せられることをあらかじめ確認しうれば
  幸甚に存ずる次第 であります。』
   これに関連して本次官はソ連邦政府の委任により、次のとおり申し述
  べる光栄 を有します。ソ連邦政府は、上記の日本国政府の見解を
  了承し、両国間の正常な外交関係が再開せられた後、領土問題をも含む
  平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明します。
   本次官は、以上を申し進めるに際し、閣下に向つて敬意を表します。

   一九五六年九月二十九日
          ソヴィエト
          社会主義共和国連邦
          第一外務次官
          ア・グロムイコ

  (松本俊一「日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実」p.225より)

上記書簡により、当時のソ連外務次官であったグロムイコが正式なソ連の立場として「領土問題を継続して話し合う旨」を約束している。日ソ共同宣言の文言についてソ連が滅茶苦茶な歴史認識に基づいた滅茶苦茶な主張を一方的に繰り返して譲らなかったために、日本側は条約の文言については譲る代わりに「領土問題が存在すること」を両国で確認し合った上記文書を「ソ連の了承を取った上で共同宣言とほぼ同時に公開する」という形で交渉を決着させている。(ロシア側の交渉のやり方が酷かったことについては既に以下で説明した。)

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02

ラブロフはこういう経緯を無視した上で、「共同宣言の文章から(領土問題が決着していると)確認できる」などと主張している。ロシアでは、外交文書の保管は行われていないのだろうか? ロシアの外相があまりにも滅茶苦茶なことを言っているので、つい、ロシアンジョークを思い出してしまった。

 スイスの観艦式にソ連書記長が出席した。
 一通り艦艇の行進を見た後で書記長はスイス高官に聞いた。
 「内陸国のスイスが海軍を持っていても余り意味がないのではないか?」と。
 それに対してスイス高官は答えた。
 「おたくの国に文部省があるような事情と同じですよ」と。
 書記長はすぐにすべてを納得できたそうだ。



以下のロシア側の主張についても、「何を言っているのだ!」とこちらの方が文句を言いたくなる。

>日米安全保障条約が平和条約交渉の障害になっているとし、日本側に改めて揺さぶりをかけた。

日ソ共同宣言には、以下の条項が存在する。

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-shiryou-001.htm
 >日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言

 >(b) その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いか
  なる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の
  目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。

   日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が
  国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利
  を有することを確認する。

   日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、経済的、政治的又は
  思想的のいかなる理由であるとを問わず、直接間接に一方の国が他方
  の国の国内事項に干渉しないことを、相互に、約束する。

上記のように、日ソ共同宣言には「集団的自衛権」を相互に保障する条項が存在する。この条項が作られた背景に日本側の「日米安保」があったのはもちろんであるが、それよりももっと大きな比重で「中ソ友好同盟相互援助条約」が影響していたことは余り知られていない。中ソ友好同盟条約には以下のように書かれている。

 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou32/32-08.pdf
 >.…1950年2 月14日,モスクワで中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれた.
 第1 条は「締約国のいずれか一方が日本または日本の同盟国から攻撃を受け
 て戦争状態に入った場合は,他方の締約国はただちに全力をあげて(原文,
 即尽其全力)軍事上及びその他の援助を与える」と規定した.…

当時の中ソ友好同盟条約は、日本を名指しで仮想敵国にしていたというように、日本に対して非常に敵対的なものであった。

日ソ共同宣言についての交渉が行われていた1955,6年頃は、まだ日本と中国との間に平和条約は存在していなかった。日本と中華民国(台湾)の間では平和条約は存在していたが、日本と大陸中国との間には平和条約が存在しておらず(日中友好条約等が結ばれたのは1972年以降だ)、依然として敵対国の関係にあった。日本が大陸で侵略的に行った多くの戦闘に対して激しい憎悪の念を抱いていた中国は、日本を名指しで仮想敵国として相互防衛条約をソ連と結んでいた。中ソ友好同盟条約は、極東地域の抽象的な安全保障(少なくとも文言上は)を謳った日米安保と比較した時、日本という一国を名指しで敵国としていたようにはるかに敵対的な条約だった。そのため、ソ連が、中国との間で「対日戦線」を張り続けて中国への友好関係を維持しながら、日本とも平和条約的なものを結ぶことは至難の業だった。それを解決するために作られたのが、国連憲章を利用して「集団的自衛権」を相互に認める上記規定だ。その後、中ソの仲が悪くなり、また、日本が中国と和解して本格的な平和条約を中国と結んだこともあって、中国は日本を仮想敵国とすることをやめた。

ロシアの主張は、当時のソ連として日米安保の比ではないレベルで日本に対して敵対的な相互防衛条約を結んでおきながら、日本が独力で中国と和解すると、当時の中ソ友好同盟よりももっと敵対度の低い日米安保条約に対して文句を言っていることになる。

ロシアの主張には毎度々々呆れるのだが、自分にとって都合がよい事だけしか言っていない。(まあ、下手に「二島ぽっきり返還」されるよりも、その方が日本人にとって助かる面もあるのだが。)しかし、ここまで勝手だと、交渉以外の戦術も必要だと思われる。これは決して「戦争をやれ」という意味ではなく、文化的・経済的(北風政策的)に影響を与えることを言っている。特に、ロシア大使などの高官が来て「北方領土について滅茶苦茶な主張」をしている時、そういう人物を日本のTV局に招きニマニマしながら相手の滅茶苦茶な主張を電波に乗せてやる必要などないはずだ。日本は、政界・財界・マスコミも含めて、何をどうとち狂うったのか分からないような「狂親ロシア的」「ロシアフリーク的」な主張を正していく必要がまずはあるだろう。
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