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二島返還論について

ネットでは、また、北方領土についての滅茶苦茶な主張が飛び交い始めたようだ。日本側の「2島返還論」というのはその成り立ちがかなり怪しい。2島返還論というのがどのようなものか、それについて見て行きたい。



最初にはっきりと言ってしまえば、「2島返還論」というのは自民党の中で鳩山一郎と河野一郎たちが突然言い出した主張であり、何の条約的根拠も理論的根拠も持っていない。

日本がソ連と平和条約交渉を始めた頃、旧自由党と旧民主党が保守合同を行い自民党を作った。旧自由党系には吉田茂や池田隼人などがいて、彼らは「アメリカべったり」の政策を基本としたために、米国は吉田や池田の派閥をあからさまに支援した。しかし、吉田や池田は、日本の戦前の体制を好む日本人層からは好かれていたとは言えない。一方の旧民主党系には鳩山一郎や河野一郎がいて、反米・自主独立憲法制定・アジアの独立圏構想などを唱えたために日本の右系の人々からの受けは良かったが、米国から徹底的に嫌われてマークされた。この鳩山・河野の派閥が突然唱えだしたのが2島返還論だ。

鳩山・河野グループの特に鳩山は、戦前議会で天皇の大権を用いて他の議員を非難し、軍部の議会への進出を促すような主張を行い、大政翼賛会の結成を陰で支えた疑惑が持たれていたりしたため、米国からは「戦前日本型の強硬保守」として徹底的にマークされていた。ただし、鳩山は東条英樹のように人の家のゴミ箱まで視察するような憲兵上がりのしねっこびれたいやらしい体質の保守ではなく、人柄は大らかであったために、戦後も戦前回帰を望む日本人たちからは絶大な人気を集めていた。例えて言えば、ジャイアンやスネ夫のように人格的に嫌われるような存在ではなく、サザエさんに登場する人格が丸い波平が大らかすぎて少しおかしな宇宙人的なことを考えながら戦前保守の思想を唱えていたようなものだ。そのため、戦前の体制や考え方に慣れ親しんだ庶民層からは非常に受けが良かった。しかし、いくら人格的に大らかと言っても、鳩山の思想の根底には米国が決して看過できない戦前の保守の中の保守の思想が横たわっていたために、米国は常に鳩山たちを警戒し、時には徹底的に鳩山たちの妨害をした。例えば、保守合同以前に鳩山が単独で政権を取りかけた途端、米国は公職追放令を出して鳩山や河野を下野させ、子飼いの吉田グループを政権に着かせたりしている。河野に至っては、下野中に投獄されたりもしている。そのような鳩山や河野が、政界復帰後に突然言い出したのが「2島返還論」だ。

鳩山としては、米国とソ連が火花を散らし冷戦をしている脇で、そういう争いから離れたアジアに戦前の大東亜共栄圏のようなものを作るつもりだったようだ。しかし、鳩山の唱えた「自主独立憲法を制定し、アジアに米国からもソ連からも影響されない独立の文化圏を作る」という構想は、もちろん、当時の情勢からすれば絶対的に無理な主張だった。実際、同じ派閥の重鎮であった重光葵などは「また、鳩山さんがおかしなことを言い出した。米ソの対立がどれほど激烈であり、どれほど全世界を巻き込んだものか理解していない。困ったものだ」という旨の批判を行っていた。鳩山は「鉄のカーテンの向こう側のソ連を国際社会に引きずり出して貿易などを行えば、嫌でも戦争は起こせなくなる」などというように、当時としては果てしなく楽観的な主張も行っていた。そのような鳩山が各種事情により総理になった頃、ソ連にも変化が起こり、フルシチョフが西側諸国と融和的な政策をとろうとしていた。そして、ソ連は、隣国日本との間で戦争状態を正式に終結させようとした。平和条約締結についてはソ連の方が積極的であり、ソ連から日本に使者が送られて平和条約の話が本格化した。

このような事情により、日ロの平和条約交渉が始まった。
このとき、鳩山たちが突然唱えだしたのが「2島返還論」だ。

戦前型の強硬保守思想を持つ鳩山は、常日頃から「絶対的な反共主義」を唱えていたから、初めはソ連が使者を送ってきたことを無視した。ソ連が終戦時に日本人に対して暴虐な行為を繰り返し、また、依然としてシベリアに抑留者を留めたままであったため(以下、URL参照)、当時の日本人の対ソ感情は極度に悪かった。日ソ間には国交が完全に存在せず、大使館なども置いていない状態であった。そのため、話し合いの取っ掛かりをつかむためにソ連から派遣された得体のしれない「連絡員」は、右の思想を持つ鳩山により門前払いにされた。

https://qvahgle-gquagle.blog.ss-blog.jp/2019-03-05-02

紆余曲折の後、なんとか日ソ間で平和条約交渉が始められたが、交渉初期にソ連はいきなり最終カードである「2島返還(ソ連の好意によるソ連領の譲渡であるとソ連は主張した)」を切って来た。ソ連としては、列強の一角であった日本やドイツをいつまでも無視して戦争状態を続けるようなことは、外交上の恥以外のなにものでもなかった。戦争被害についての補償問題や抑留者の問題、領土問題などを形だけでも解決・決着したように見せかけて平和条約を結ぶことは、西側諸国との融和に動こうとしていたソ連にとって喫緊の課題だった。つまり、日ソの平和条約交渉は、ソ連側からの強い要請により始まったと言えるだろう。

このとき、鳩山と河野たちはソ連の出した「2島返還」の提案に飛び付き平和条約を結ぼうとした。米国により散々に嫌がらせを受けていた鳩山と河野は、「反米」でありさえすれば誰とでも何とでも手を組むつもりだったようだ。

しかし、当時の自民党には、保守合同の時に話し合って決めた党是の一つに「樺太・北千島は国際会議を開かせ、そこで諮って国境を確定させる。4島は無条件に返還させる」という条項が存在した。そのため、自民党員の大半が鳩山たちの対ソ外交方針に反対した。北千島や樺太までもを返還要求の視野に入れていた者たちがほとんどだったのであるから、4島どころか2島で手を打とうとする鳩山たちの主張に対しては当然の反応だったと言えるだろう。特に親米政策を採る旧自由党系の吉田たちが立腹して「ソ連無視」を強烈に主張したため交渉は領土問題で行き詰り、ソ連との交渉は「お流れ」となる可能性が高くなった。

しかし、ソ連としては何としても日本と平和条約を結ぶつもりであったから、そのまま日本を交渉の席から撤退させて交渉を終わらせるわけにはいかなかった。そこで、ソ連は「北洋漁業を許可しない」という圧力を日本にかけて来た。当時の日本は外貨も少なく、国民の蛋白資源を漁業に大きく依存していたため、日本にとっては死活問題だった。また、北洋漁業を行っていた数社の大手水産企業にとっても死活問題であり、鳩山政権に泣きついて来た。北洋漁業関係の企業群と太いパイプを持っていた河野一郎としても、見過ごせない状態であった。

「生命線」を揺すられたために、仕方なく、日本は漁業交渉に限定してソ連と会話を続けることになった。この時の漁業交渉のためにソ連に派遣された日本側の代表が農水相であった河野一郎だ。この交渉において、河野は奇怪な行動に出た。河野は、モスクワでの交渉において、外務省職員や日本側通訳をすべて排除して唯一人会議室に入り、ソ連側通訳を通してソ連側の交渉担当者たちと話し合った。そのために、日本側でこの時の会談内容を知る者は、河野以外には存在しない。河野を送り出した自民党の方針は「平和条約についてはソ連を無視する。喫緊の課題である漁業問題に限り事態の打開を目指して交渉する」であったが、上記の「秘密会談」の結果として、河野は漁業交渉から逸脱して領土交渉と平和条約交渉の再開をソ連と約束して戻って来た。自民党の指示に従わず無理に2島返還で裏取引を行って来た(「裏取引をしたはずだ」と皆が強く言う)のであるから、この河野の行為には、外務官僚出身であり鳩山や河野と同じ派閥であった重光なども激高した。もちろん、旧自由党系の吉田や池田などは怒り心頭に発する大反対であった。

2島返還論については、以上のように、「ただ、ソ連側がそうすれば領土を返すと言っているから」という以上の理由は何も存在していない。今回は、2島返還論メインの題材であるから、その後のいくつもの紆余曲折は省略する。最終的に日ソの交渉は日ソ共同宣言という形で「領土問題は棚上げ。国交は最低ラインで回復」ということに落ち着いた(少なくとも日本側の認識においては)。

河野は漁業交渉の後の平和条約の交渉にも参加し、他の日本側代表やソ連側代表の前で「日本にとっては利用価値がまったくない北方の4島など、手に入れても金がかかり困るだけだ。ただ、国内政治情勢・党情勢などがあるから、そう主張せざるを得ない」などとフルシチョフに話してしまっている。このため、ソ連側に領土問題を軽く見られることになった。鳩山と河野たちは、交渉の最終局面においてソ連側が「領土問題は継続審議」と共同宣言の文言に入れたことに大喜びし、モスクワの宿泊施設で祝杯を上げたために、ソ連側に全部を盗聴され「領土問題は継続審議」の文言を共同宣言の文章から削られたというような失敗もしている(ただし、日ソ共同宣言と同時に発表された松本-グロムイコ書簡により、補完的に、領土問題は継続審議すべき問題であることが日ソ間で確認されている)。自分だけの思い込みにより「北方領土には価値がない」と言い、領土交渉はしつこいくらいに自国の利益を主張するというヨーロッパ諸国の考え方を知らないまったくの外交の素人が、飛んでもない交渉の仕方をしたことになる。

このように、「2島返還論」というのは、「アメリカ憎し」で凝り固まった鳩山と河野が「アメリカが嫌だからソ連を厚遇すれば何とかなる」とソ連側の主張に飛びついただけの全く理屈の立たない主張でしかない。ソ連と密約して既成事実を作り、ソ連の力をテコにして大反対だった自民党の反対論者をはじめとした議会を理由なしに無理に引きずって行こうとして唱えられたこういう滅茶苦茶な主張に対してよく言われるのは、「ソ連が1島ならば返すと言えば1島返還論になるのか?」という批判だ。実際、当時の鳩山たちの2島返還論に対しては、非難轟轟の状態であった。まず、自民党の半分を占める親米路線の旧自由党系の議員たちは大反対をした。鳩山や河野と同じ派閥である旧民主党系議員たちも、半数は鳩山たちの方針に反対した。左右の社会主義勢力が統合されたばかりの社会党は社会主義国ソ連と親交を結べることには賛成したが、2島返還論については半分が反対した。自民党に対抗し理屈っぽい政策を言う傾向がある共産党は、2島返還論の理不尽さを強調して全党を挙げて反対した。共産党は自民党に対抗して「北千島までを含んだ千島全島の返還」を要求していた。その主張は、現在でも維持されている。つまり、当時の議会の中で2島返還論に賛成した者たちと言うのは、自民党の半分の半分と社会党の半分だけであり、その他の者たちは大反対の状態であった。そういう状態であったがために、鳩山は自分の主張を無理にでも通すために首相権限を用いてソ連と直接交渉し、モスクワへ出向いて日ソ共同宣言の調印まで行って来た。こうなってしまったために外交上の恥辱が残ることを恐れた議会は、日ソ共同宣言で領土問題について明記されていないことについては大きな不満があったが、ソ連と戦争状態を終え抑留者を帰還させるべきであるという部分の鳩山の主張に嫌々ながら賛成することになった。自民党の中では古参議員たちの説得により激怒していた吉田・池田の派閥も反対票を投じずに欠席するという形で何とかまとめ上げ、社会党も反対者を説得して全党で賛成票を投じるようにまとめられた。このような情勢に共産党も敢えて反対票を投じることはせず賛成に回った。こうして、日ソ共同宣言は領土問題を残した形で批准された。領土問題の解決は、本格的な平和条約が締結されるまで継続審議ということになった。

ちなみに、この時の話し合いによれば「(少なくとも4島について)継続的に審議を行う」はずであったのだが、ソ連はその後、日ソ共同宣言の文言を盾にして「2島ぽっきりで解決済み」として日本からの領土問題についての会話の試みを一切門前払いすることを1990年前後まで平然と続けた。ソ連が日ソ間に4島についての領土問題があることを公式に認めたのは、ソ連邦から多くの国々が独立してソ連が弱気になっていた1991年のゴルバチョフとの会談からである(以下参照)。

 https://www8.cao.go.jp/hoppo/mondai/04.html



日本には売国奴が巣食っていて、「もう、4島返還は望めそうもないから2島返還でよいはずだ」と主張する者たちがいる。それならば、理不尽に相手を押さえ込んだ強盗の天下になってしまうだけだ。

国際法上は日本100対ロシア0で日本側が徹底的に有利な立場にあるのだが、万が一4島が無理であると思考上で仮定した場合でも、それならば1島も返還を望まないでそのままにしておけばよいはずである。別に、それらの島々が戻って来なくともこれまでやって来れたのであるし、損をしてまで敢えてロシアと付き合うメリットは存在しないからだ。

こちらの側が有利な交渉において、万が一こちらが不利になると仮定してさえもそれならば放置しておけばよいものを、あろうことか、更に経済援助まで行った上で領土についても向こうに「お墨付き」を与えるように進言している者たちが多数存在する。そのような態度では、2島さえも返って来ないことだろう(実際、そうなりかけているのである)。

ウクライナなどは、約2世紀かけてロシアからの独立を果たした。彼らが祖国を失ったのは江戸時代である。国家の主権や領土問題というのはそれほど根深い物であるのに、たかだか70年で理不尽な奪われ方をした領土を諦め、さらに相手に「膨大な経済援助という利益まで与える」というのでは、気が触れているとしか思えない判断である。(おそらく、ロシア特有の買収策に引っかかった者たちが主張しているのだろう。)
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河野外相は、祖父の時代と勘違いしていないか?

驚くようなニュースが飛び込んで来た。

 https://www.sankei.com/politics/news/190701/plt1907010023-n1.html
 >河野太郎外相は1日、東京都内で講演し、日露平和条約締結の前提となる
 北方領土問題に関し、ロシア側に四島返還を求めるつもりはないとの考えを
 示した。政府が交渉方針を「四島返還」から「二島返還」に変えたとする出
 席者から四島返還に立ち戻る考えはないかを問われ、「まったく考えていな
 い」と述べた。河野氏は「70年も解決できなかった問題を半年で解決でき
 たら、きっとノ ーベル平和賞をもらえる。(解決は)そう簡単ではないが、
 しっかりやる」とも語った。

こういう愚か者は、「70年も解決できなかった」原因を理解していない。(「トランプ大統領にノーベル平和賞を」というのは「このことだったのか?」などとも勘ぐってしまう。)「70年も解決できなかった原因」は、政府が弱気な交渉を繰り返した結果であることは明白だ。

交渉相手がソ連であった時代においては、政府のそういう方針も仕方のない面があった。

 (1) 「人質」が取られていたこと(以下参照)
   https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 (2) ソ連が国際社会から孤立して「鎖国体制」を敷いていたために、
   日本やその他の国々が何か言っても無駄であったこと
 (3) 当時の国際社会における対日感情は、第2次世界大戦を引き起こ
   した日本に対して非常に悪かったこと

特に(1)の問題があったため、日ソ共同宣言は徹底的にソ連に譲った形になっていた。しかし、今現在は(1)の問題も解決して「人質」を取られた状態ではなくなっている。また、(2)についても、ロシアは資本主義化して外国との貿易により自国経済を保っている状態であるから、ロシア国外の影響を無視できなくなっている。(3)については言わずもがなであり、ソ連時代の人権を無視した各種強硬政策とソ連国外に対する武力を背景とした干渉行為などを経験した国際社会は、今では日本の側に圧倒的に有利に傾いている。(河野外相の祖父河野一郎も農相として日ソ共同宣言の交渉に参加していたが、その時の「感覚」がまだ現在でも通用すると勘違いしているのではないだろうか?)

そういうように「状況が変わった」にも関わらず、漫然とソ連時代と同じ方針で外交を行ってきたのが日本の外務省だ。

エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国も、ウクライナも、カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンなどの中央アジア諸国も、みな、ソ連崩壊とともにソ連から独立した。独立できたのは、自分たちの民族がその土地に住んでいたという要因もあるが、それ以上にしっかりと「独立したい」と物を言ったからだ。ソ連側が軍隊を派遣したために軍事衝突をしかけたが、それでも独立を主張して引かなかったために独立を勝ち取ることができた。

その時、日本はどうしたかと言えば「ソ連が崩壊したあとのロシアに無視されないこと」だけを重視して物を言わなかったために、せっかくの好機を逃して、ソ連時代に堂々とソ連国内で通用していた「嘘」をロシア時代になっても定着させてしまった。せっかくドイツのコール首相が国際的に働きかけてくれた「北方領土の日本への返還運動」に冷や水をかけた形にもなった。そして、当時から「無意味だ」という痛切な反論があったにも関わらず、ロシアへの経済協力を各種行い、ロシアの経済を著しく改善させることに協力した。

ソ連が崩壊した後のロシアは混迷を極め、インフレ率は25倍を超えたりした。資本主義経済の運営方法について理解していた者たちが皆無の状態であったために、共産党政権が行っていた統制経済体制から資本主義経済体制への転換がうまくいかず、運輸や金融などの面における混乱が混乱を呼び、ロシアという国は破綻しかけていた。そういう背景に加えて、進歩的なエリツィンが大統領となっていたために、北方領土問題についてはかなり日本側に譲歩して「2島ではなく4島の問題が存在すること」「北方領土問題を話し合うこと」をロシア側として初めて正式に認めた。ロシア側としては、人口の2分の1を失い、国土の4分の1を失った状態でさらに経済は国家破綻するほど混迷に混迷を極めていたのであるから、日本に譲歩せざるを得ない状態だった。そういう時に日本が何をしたのかと言えれば、国内には「ロシア政府というのは、歴史的に見て絶対に恩をあだで返す習性があるから協力は控えるべきだ」という根強い意見が存在したにもかかわらず、ロシアの経済発展に手を貸してロシアを助けることだった。

せっかく、ソ連時代の「鎖国政策」が打ち破られ国際社会の声がロシア国民たちにも届くようになり、また、ロシアが混迷していて日本に譲歩を示していた時代に、

  はっきりと物を言わず、米独などの協力を(結果として)断り、さらに
  あろうことか自分の首を絞めることになる経済協力を徹底的に行った

のだ。その時の方針が間違っていたからこそ、何カ国も他国が大きな領土を得てソ連・ロシアから「独立」さえしているのに、ロシアにとって意味のない極東のはずれの小さな4島の返還さえ威張られて拒否されるようになったのだ!しかも、ロシアへの経済協力をしたために経済的な力をつけた極東地域は「絶対に北方領土はロシアの物だ」と主張するようにも変わっている。ロシアが混迷を極めた頃は、極東地域の住民たちの間にも「北方領土を売れ」とか「自分も日本国民になりたい」などと言う声を聞くことができた。日本政府は経済援助を行いロシア極東の市民たちの民意が日本になびくように仕向けたかったようであるが、物をはっきりと言わなかったために「北方領土は日本が因縁をつけているだけの物。北方領土はロシアによって正当に領有されている」というソ連時代の大嘘を受け継いだロシアの大嘘がまかり通っている状態だ。

北方領土問題というのは、「70年も解決できなかった問題」ではなく、「ここ2,30年」の大失敗の問題である。他の国々が軍事衝突さえも辞さない姿勢ではっきりとソ連に対して物を言いソ連から独立して行っていた脇で、せっかくの好機を逃して「意味もなく」善隣友好外交を唱え、「意味もなく」発言を控え、「意味もなく」経済協力をした結果が現在の「惨状」に結びついている。

ロシアは、人口的には1億4千万人しか存在しない日本とほとんど変わらない国だ。国民の経済レベルは日本よりはるかに劣る。つまり、大した市場を持っていない。そして、ロシアの民生品の技術は旧西側諸国の技術からはるかに遅れている。輸出できているのは石油やガスだけだ。しかも、その石油やガスは、政敵を平気で殺す独裁国家ロシアが自分本位に勝手に管理できるため、それらに依存すると何時それらの供給を止められるかわからないことになるのであり、ドイツのようにロシアに対して何も物を言えなくなる(以下参照)。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-05-19

ロシアが頼りとしている石油やガスも、自然エネルギーの発達や核融合の成功により、近い将来、役に立たなくなることは明白だ。そのときロシアには目も当てられない惨状が広がるのであり、国家として2流3流の発展途上国に転落して行くことが必定の状態だ(以下参照)。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-27

つまり、北方領土問題というのは、決して、今「安売り」をするべきものではない。

社会主義国のソ連の時代であったならば、左の人々がソ連に肩入れしたい気持ちを持つこともある程度は理解できる。しかし、今のロシアはアメリア以上に貧富の差が大きな資本主義国の中でも腐りきったタイプの資本主義国であり、その体制も民主的ではなく独裁国家に分類される。そのような国に対して、そもそも、「何もはっきりと物を言わずに」仲良く付き合って行こうとしたここ2,30年の方針自体が、大間違いだったと結論できるはずだ。これを否定するのであれば、無理な作戦のために戦う前から何万人もの餓死者を出したインパール作戦を行っておきながら「各員の努力が足りなかった」と平然と言ってのけた牟田口中将と同じ程度の思考レベルにあることになるだろう。一部の人たちにとっては「結果」を認めたくないのであろうが、日本の正しい選択のためには、これまでの「結果」を素直に認めて反省すべきだ。

そもそも、ロシアと言う横暴な国に対して「仲良く付き合う」必要などないはずだ。というか、「仲良く付き合う」ことなどできない体制の国であるからこそ、世界中から制裁を受けていて、蛇蝎の如くに嫌う国々が存在するのだ。

 なぜ、日本に敵対し日本の権利を奪っている国と「仲良くする」必要が
 あるのだろうか?

近い将来自滅していく国であるのだから、制裁する覚悟を持てないのであれば、少なくとも現状のまま手を出さずに放っておけばよい(ただし、事あるごとに日本の権利はしっかりと主張しながら)。なぜ、「隣に存在するから」という理由だけで譲歩に次ぐ譲歩を今の時期に行わなければならないのだろうか。今の政権には、いい加減にまともな判断をしてほしいと思う。
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過去の外交の経緯を無視するロシア

また、ロシア外相ラブロフがおかしなことを主張している。(毎度のことであるから、今回は簡単に指摘するだけにする。)

 https://www.sankei.com/world/news/190531/wor1905310020-n1.html
 >…ラブロフ氏は、日ソ共同宣言には、「平和条約の締結後」に2島を
 引き渡すことが記されていると強調。同氏はさらに、共同宣言では2島引き
 渡しが「ソ連の善意」として扱われており、「宣言に署名した時点で双方は
 (北方領土を)ソ連領とみなしていた」との主張も持ち出した。…

日ソ共同宣言中に現れる領土関係の文言については、ソ連側が上記ラブロフのように主張できないようにするため、日本側は予め以下のように言質を取ってある。

  一九五六年九月二十九日付グロムイコ次官発松本全権あて 返簡

   本次官は一九五六年九月二十九日付の閣下の次のとおりの書簡を受領
  したことを確認する光栄を有します。
  『本全権は一九五六年九月十一日付鳩山総理大臣 の書簡とこれに
  対する同年九月十三日付ブルガーニン議長の返簡に言及し、次のとおり
  申し述べる光栄を有します。
   前記鳩山総理大臣の書簡に明かにせられたとおり、日本国政府は、現
  在は、平和条約を締結することなく、日ソ関係の正常化に関し、モスク
  ワにて交渉に入る用意がある次第でありますが、この交渉の結果外交関
  係が再開せられた後といえども、日本国政府は、日ソ両国の関係が領土
  問題をも含む正式の平和条約の基礎の下に、より確固たるものに発展す
  ることがきわめて望ましいものであると考える次第であります。
   これに関連して、日本国政府は、領土問題を含む平和条約締結に関す
  る交渉は両国間の正常な外交関係の再開後も継続せられるものと了解す
  るものであります。
   鳩山総理大臣の書簡により交渉に入るに当り、この点についてソ連邦
  政府においても同様の意図を有せられることをあらかじめ確認しうれば
  幸甚に存ずる次第 であります。』
   これに関連して本次官はソ連邦政府の委任により、次のとおり申し述
  べる光栄 を有します。ソ連邦政府は、上記の日本国政府の見解を
  了承し、両国間の正常な外交関係が再開せられた後、領土問題をも含む
  平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明します。
   本次官は、以上を申し進めるに際し、閣下に向つて敬意を表します。

   一九五六年九月二十九日
          ソヴィエト
          社会主義共和国連邦
          第一外務次官
          ア・グロムイコ

  (松本俊一「日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実」p.225より)

上記書簡により、当時のソ連外務次官であったグロムイコが正式なソ連の立場として「領土問題を継続して話し合う旨」を約束している。日ソ共同宣言の文言についてソ連が滅茶苦茶な歴史認識に基づいた滅茶苦茶な主張を一方的に繰り返して譲らなかったために、日本側は条約の文言については譲る代わりに「領土問題が存在すること」を両国で確認し合った上記文書を「ソ連の了承を取った上で共同宣言とほぼ同時に公開する」という形で交渉を決着させている。(ロシア側の交渉のやり方が酷かったことについては既に以下で説明した。)

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02

ラブロフはこういう経緯を無視した上で、「共同宣言の文章から(領土問題が決着していると)確認できる」などと主張している。ロシアでは、外交文書の保管は行われていないのだろうか? ロシアの外相があまりにも滅茶苦茶なことを言っているので、つい、ロシアンジョークを思い出してしまった。

 スイスの観艦式にソ連書記長が出席した。
 一通り艦艇の行進を見た後で書記長はスイス高官に聞いた。
 「内陸国のスイスが海軍を持っていても余り意味がないのではないか?」と。
 それに対してスイス高官は答えた。
 「おたくの国に文部省があるような事情と同じですよ」と。
 書記長はすぐにすべてを納得できたそうだ。



以下のロシア側の主張についても、「何を言っているのだ!」とこちらの方が文句を言いたくなる。

>日米安全保障条約が平和条約交渉の障害になっているとし、日本側に改めて揺さぶりをかけた。

日ソ共同宣言には、以下の条項が存在する。

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1957/s32-shiryou-001.htm
 >日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言

 >(b) その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いか
  なる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の
  目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。

   日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が
  国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利
  を有することを確認する。

   日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、経済的、政治的又は
  思想的のいかなる理由であるとを問わず、直接間接に一方の国が他方
  の国の国内事項に干渉しないことを、相互に、約束する。

上記のように、日ソ共同宣言には「集団的自衛権」を相互に保障する条項が存在する。この条項が作られた背景に日本側の「日米安保」があったのはもちろんであるが、それよりももっと大きな比重で「中ソ友好同盟相互援助条約」が影響していたことは余り知られていない。中ソ友好同盟条約には以下のように書かれている。

 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou32/32-08.pdf
 >.…1950年2 月14日,モスクワで中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれた.
 第1 条は「締約国のいずれか一方が日本または日本の同盟国から攻撃を受け
 て戦争状態に入った場合は,他方の締約国はただちに全力をあげて(原文,
 即尽其全力)軍事上及びその他の援助を与える」と規定した.…

当時の中ソ友好同盟条約は、日本を名指しで仮想敵国にしていたというように、日本に対して非常に敵対的なものであった。

日ソ共同宣言についての交渉が行われていた1955,6年頃は、まだ日本と中国との間に平和条約は存在していなかった。日本と中華民国(台湾)の間では平和条約は存在していたが、日本と大陸中国との間には平和条約が存在しておらず(日中友好条約等が結ばれたのは1972年以降だ)、依然として敵対国の関係にあった。日本が大陸で侵略的に行った多くの戦闘に対して激しい憎悪の念を抱いていた中国は、日本を名指しで仮想敵国として相互防衛条約をソ連と結んでいた。中ソ友好同盟条約は、極東地域の抽象的な安全保障(少なくとも文言上は)を謳った日米安保と比較した時、日本という一国を名指しで敵国としていたようにはるかに敵対的な条約だった。そのため、ソ連が、中国との間で「対日戦線」を張り続けて中国への友好関係を維持しながら、日本とも平和条約的なものを結ぶことは至難の業だった。それを解決するために作られたのが、国連憲章を利用して「集団的自衛権」を相互に認める上記規定だ。その後、中ソの仲が悪くなり、また、日本が中国と和解して本格的な平和条約を中国と結んだこともあって、中国は日本を仮想敵国とすることをやめた。

ロシアの主張は、当時のソ連として日米安保の比ではないレベルで日本に対して敵対的な相互防衛条約を結んでおきながら、日本が独力で中国と和解すると、当時の中ソ友好同盟よりももっと敵対度の低い日米安保条約に対して文句を言っていることになる。

ロシアの主張には毎度々々呆れるのだが、自分にとって都合がよい事だけしか言っていない。(まあ、下手に「二島ぽっきり返還」されるよりも、その方が日本人にとって助かる面もあるのだが。)しかし、ここまで勝手だと、交渉以外の戦術も必要だと思われる。これは決して「戦争をやれ」という意味ではなく、文化的・経済的(北風政策的)に影響を与えることを言っている。特に、ロシア大使などの高官が来て「北方領土について滅茶苦茶な主張」をしている時、そういう人物を日本のTV局に招きニマニマしながら相手の滅茶苦茶な主張を電波に乗せてやる必要などないはずだ。日本は、政界・財界・マスコミも含めて、何をどうとち狂うったのか分からないような「狂親ロシア的」「ロシアフリーク的」な主張を正していく必要がまずはあるだろう。
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ロシアへの経済協力は条約締結後にのみ成り立つ

北方領土問題について日ロ外相が5月10日に話し合った。

 https://digital.asahi.com/articles/ASM5B5DKZM5BUTFK014.html

外相会談では、相変わらずロシアは無謀な主張「北方領土は第二次世界大戦の結果ロシア領となった」を繰り返した。近代国家間においては、戦争による戦闘行為が停止された後に正式な平和条約が結ばれてはじめて「戦争の結果が確定した」「戦争が正式に終わった」ことになる。こういうやり方は、西洋世界においては太古からのしきたりであり、古くは紀元前13世紀のエジプト―ヒッタイト間の平和条約に確認することができる。17世紀のウェストファーリア条約や20世紀のヴェルサイユ条約など、有名な大戦後の条約を一度は聞いたことがあるはずだ。ところが、ロシアはそのような「条約を結んで初めて戦争の結果が確定して戦争が正式に終わる」というやり方を日本に対して否定している。第二次世界大戦で日本と戦ったロシア以外の国々は、すでに日本と正式な平和条約を結んでいる。米国や英国などの約50カ国は日本とサンフランシスコ講和条約を結び、戦争状態を正式に終結させている。サンフランシスコ講和条約により日本と講和できなかった国々、例えば中国やポーランドなども、その後に日本と平和条約を結び戦争状態を終結させている。

しかし、ロシアだけはそういうやり方に従わず、条約を結ばずに「戦争は正式に終結・確定している」と主張していることになる。我々東洋人を差別的に扱っているのだろうか。

ロシアの行動は常軌を逸しているが、その主張も滅茶苦茶だ。「国連憲章で解決済み」という旨の主張を繰り返しているが、北方領土について国連憲章が意味をなさないことは既に以下で説明した。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-05
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-13-01

また、歴史認識についてもロシアは「自国民が先に北方領土を見つけた」などと今回も誤った主張をしている。冗談ではない! 歴史的経緯については、日本の方が先に北方領土を発見し自国の活動圏内に組み込んでいた(以下参照)。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-06

歴史的に先に自国の活動圏に組み込みその後にきちんと自国の管理下に置いた土地は、国際法上、その国の物となる。無主地先占の法理である。その場合、国家を作れないレベルの未開民族がいたとしても、国際法上は彼らは無視される。未開民族にとっては可哀相な話であるが、それが、ロシアをはじめとした西欧社会が作りあげた「国際法と国際秩序」だ。このルールによれば、北方領土は、初めに発見し、その後に自国民まで送り込んで各種開発と管理をしっかりと行っていた日本の物であることは疑いようがない。当時は、未開民族の住む未開地は、近代国家が領有をしっかりと行った時点において、いずれの国家によっても領有されたことのない未開地から「領有を行った国の固有の領土」となった。故に、日ロどちらの国が先に領土を発見し管理していたかということは、領土問題における基本も基本の非常に重要な事項だ。

ところが、この点をロシアはないがしろにしている。上記リンク内で説明したように、日本の方がロシアより遥か前に北方領土に住んでいたアイヌたちと交易し、日本の経済活動圏にアイヌたちを組み込んでいる。この時点で日本はアイヌを通して間接的に北方領土の領有を終えていたことになる。その後、アイヌたちが反乱を起こしたりしたが、その原因が不平等な貿易を強要されたために北海道ではとれなかった「米」などが手に入り難くなったことであったことを思い浮かべれば、日本の経済的・政治的活動圏へのアイヌの包摂と道東・北方領土の領有の根拠をもっとはっきりとイメージして確認することができる。つまり、日本はアイヌたちを完全に日本の経済的・政治的活動圏に組み込んでいたからこそ、そこでの不平等な交換基準の強要が反乱を招いたのであり、その事実は道東や北方領土への間接的な領有の根拠を示している。さらに、日本人の漁師や商人たちもアイヌたちと交易するために北方領土(更にその北方の島々まで)を頻繁に訪れていて、松前藩も1754年には北方領土に場所を開き数百人単位で役人たちが常駐するようになっていく。間接的な領有の根拠が、自国民の活動や移殖により更に強化されたことになる。その頃のロシアはやっと数百キロメートル離れた千島列島の最北端当たりを支配下に収めただけの状態だ。日本は上代から平安時代にかけて数百キロメートルにわたり関東・東北の蝦夷たちを南から北に順次支配下に置いて行き移民も行ったが、その頃のロシアもかつての征夷大将軍たちと同じ状況であり、数百キロメートルに及ぶ千島列島の最北端で原住民たちの反乱を鎮圧してやっと南方に向かい始めたばかりの状態だった。

ロシアの歴史認識は、現代史についても重要な部分をまったく無視している。たとえば、日本が独ソ戦の最中に如何に仁義を守りロシア側の味方をしたか、また、それにも関わらずロシアが日本に対して終戦前後に如何に酷いことをしたのかを理解していない。これらは、ソ連共産党時代に嘘で嘘を固めた滅茶苦茶な「ロシアの栄光の歴史」を国民に教育した結果であり、今でもロシア国民の多くが「日本には迷惑をかけられっぱなしだったが、ロシアが独力で正々堂々と日本をはねのけた」などというように第二次世界大戦を誤って認識している(以下参照)。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-07
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-06-01

こういう滅茶苦茶な主張をする国と付き合う必要はないはずだ。しかし、新聞記事によれば、これだけ踏みつけられても日本はロシアと経済協力をしていくようである(以下参照)。

 https://digital.asahi.com/articles/ASM5B5DKZM5BUTFK014.html
 >一方、日本側が領土交渉への機運を高めると期待する北方四島での共同
 経済活動について「双方が柔軟性を発揮して、建設的に作業するよう事務
 方に指示を出すことで一致した」と成果を強調した。

極東地区の開発に協力しても、ロシア人たちが恩に着て北方領土に柔軟な態度を示すというようなことにはならず、経済力を背景として強硬な姿勢を日本に対して取るようになることは、既に以下で説明した。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-27

こちらは一つも「果実」を得ていないのに「共同経済活動」などする必要がどこにあるのだろうか?ソ連やロシアは不法行為を行い日本に迷惑だけをかけている状態なのであるから、無条件にそういう不法行為をやめさせるだけの話だ。泥棒に盗品を返してもらうために、踏みつけられながら譲歩に次ぐ譲歩を行い盗まれた財産を次々に諦めて泥棒の物と認めるなどということは、究極のバカのみが行えることだ。ロシア政府と言うのは、米国や中国のようにこちらが何かやって上げたことに対して「恩」を感じ「お返し」をしてくれることはない。ロシア政府というのは、歴史的に考察した時、欲しければただ黙って盗ってしまう国であり、義理も恩義も何も通用しない国だ。だからこそ、東欧をはじめとした世界中の国々から嫌われたり用心されたりしている。それなのに、経済協力を行うなどというのでは、そのようなロシアの「特性」を全く忘れている愚行にしか思えない。ロシアからしてみれば「こちらが正当であり温情で元島民の墓参りなどを認めてやっているのだから、ロシア領千島に金を出せ」という程度の認識しか持っていないのは火を見るより明らかだ。

結局、今の日本の政権が「領土などどうでもよいから金を稼ぎたい。あるいは、領土などどうでもよいからレガシーを残したい」と考えて産業界などをプッシュしているということなのだろう。実際、外相会談の一ヵ月ほど前に、以下のような記事が載っていた。

https://www.sankei.com/economy/news/190416/ecn1904160041-n1.html
>…ロシアの独立系ガス大手ノバテクが、北極圏の液化天然ガス(LNG)事業への出資を三井物産と三菱商事に打診し、日本の官民が水面下で参画を模索している。北方領土の交渉を進めたい官邸は同事業参画を交渉のカードにしようと前のめりだが、民間は経済合理性の観点から慎重な姿勢を崩さず、足並みは乱れている。…

これについては、サハリン2の教訓を忘れたのかと言いたい。

サハリン2事件というのは、以下のような事件である。各種、説明したウェブページが存在する有名な事件なので、それらのURLだけを載せることにする。


 https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B32%E4%BA%8B%E4%BB%B6-181087

 http://blog.livedoor.jp/rekisiwatanabe/archives/24883778.html
 http://blog.livedoor.jp/rekisiwatanabe/archives/25017365.html

さて、このような指摘があると、ほとんど必ず「ロシアはそんな国ではない」と擁護する者たちが現れるのがロシア関係における常だ。実際、サハリン2事件についても、「ロシア企業のガスプロムが日英蘭の企業体から適正価格で株を買ったのだから日本側は文句を言えないはずだ」という旨のデマを飛ばす者たちが存在する。これは悪質なデマの類だ。

資源開発と言うのは、「失敗する可能性」を多分に含んでいるものであり、各企業は「失敗料」を確率的に払っていることになる。故に、サハリン2のように「採掘に成功した分」だけを負担すれば済む話ではないのだ。実際、住友商事は2014,15年頃にアメリカで「超有望」とされた地域のガス田の採掘権を買い取り採掘を始めようとしたが、地下の構造が事前予想とは違っていたために採掘を諦める結果となっている。そのため、住友商事は2000億円もの減損を計上し、その期は赤字決算となった。

 https://toyokeizai.net/articles/-/49340

資源開発というのは「有望」と言われる場所でも採掘に失敗することはかなりある。そういう大損失の可能性をはねのけて採掘に成功した企業に対して成功した部分にだけ「金を払った」と主張しても、そのような主張はまやかしでしかない。

さらに、サハリン2の時は、「日本企業が採掘するのだから、日本国内に向けてエネルギーを安定して供給できるはずだ」という最も肝心な目的も水泡に帰した。「日英蘭の企業が採掘と出荷を行うのならば地政学的なリスクに影響されずエネルギーの安定供給を行える」というのが当初の最大の目的であったはずだ。ところが、そこにロシアが半国営企業のガスプロム社を無理に割り込ませ株式の過半数を取らせてしまったために、何事も一々ガスプロムに承認を求めなければ日英蘭側で自由に採掘や販売などを行えなくなってしまった。これでは何のために投資したのか分からない。

このように指摘すると、またロシアフリークが現れて「ロシアはヨーロッパ向けのガス価格をいじったことがないのだからロシア発の地政学的リスクなどない」と言い張ることだろう。これも全くのデマでしかない。たとえば、ドイツがロシアのことを信じた結果、現在のドイツは一次エネルギーの40%をロシアから輸入するようになっているが、そのためにウクライナ問題においてはヨーロッパ諸国の中で最後までロシアの侵略行為に反対するガンとした態度を取れなかったと言われている。しかも、米国などに批判されてドイツ政界が反ロの方針を取ろうとするとドイツ産業界が安いロシアエネルギーを求めて大反対するというように、もう、ドイツではロシアに対してまともな政治的行動がとれなくなっている。日本のことをアメリカの属国呼ばわりする者たちがいるが、それならばドイツはもっと酷い「ロシアの属国状態」になっている。ロシアが戦略的に石油やガスを使っていることは、ウクライナに対する例を見ればもっとよくわかる。

 https://www.ua.emb-japan.go.jp/jpn/info_ua/overview/4economy.html
 >…2005年,ユーシチェンコ政権が成立すると,ロシアはウクライナ向け天然ガス供給価格をこれまでの3倍に値上げすると提案した。これをウクライナ側が拒否すると,ロシア側は逆に更なる大幅値上げを提案越し,年内の妥結に至らなかった。…

 https://nikkan-spa.jp/plus/1525104

ロシアは、ウクライナの他にも反ロ親米的な東欧諸国に対し、次々とエネルギー価格を釣り上げた。それに対し、ロシアフリークたちは紛争当初は「国際価格と同程度に引き上げただけだ」と主張した。このロシアフリークたちの狂ったまでの親ロ的主張は、突然、短期間のうちに生活必需物資を何倍にも値上げしたという行為自体がすでに「戦争に準じる行為」であることを忘れている。基本的エネルギーを途絶させる政策は「戦争行為」と認められていて、日米開戦の直接の原因にもなった重大行為だ。しかも、その後もロシアはガスや石油の価格をつり上げ続けて元値の数倍以上にし、国際価格さえをも超えた価格を要求したために、今ではウクライナはロシアからのガス購入を削減して東欧を中心とした欧州からのガス購入に切り替えようとしている(ほぼ切り替え終えたと言えるだろうか)。

ロシアエネルギーが安いからといって安易にそれに切り替えれば、その先には苦悩の道が待っていることを日本の政権担当者たちは忘れているようだ。

しかも、現在のロシア開発に関係した話に関しては、対ロ経済制裁を主導している米国の目が常に光っていることも忘れてはならない。イラン原油と同じようにいつ規制されるかわからないのだ。ウクライナに対するロシアの暴虐な態度とアメリカの規制強化を懸念したために、上述のヤマルガス田開発からロイヤルダッチシェルは手を引いている(さらに加えて、サハリン2の問題もあったのだろう)。そういう事情が存在する上に利益が出るかどうかについても確信できない面があるので、日本の企業もヤマルでのガス田開発・運営には及び腰の状態だ。それに対して、政府が「やれ」と圧力をかけているのだ。これは、一部政権担当者たちが日本国民全体の思いを無視した上で、私企業にも「日本売り」としかならないことを強要しているだけだ。きちんと言うことも言わずに相手の言うがままに次々としなくてよい譲歩と交渉を続けているこの政権は、レガシー作りしか頭にないのだろう。

ロシア政府と交渉するときは、現物を手に握った上でそれぞれが手渡しで交換するのでなければ、先に物を渡すと「取られ損」になることが必定であることを改めて注意喚起しておこう。


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ロシアへの対抗手段

ロシア駐日大使のガルージンが、また自分勝手な主張をしている。

 http://news.livedoor.com/article/detail/16225949/
 >ガルージン駐日ロシア大使は27日、東京都内で講演し、
 2020年度から使用される日本の小学校教科書で北方領土が
 「固有の領土」と明記されたことを批判した。北方四島は
 正式なロシア領だと主張した上で「正しくないシグナルを
 発信するもので、受け入れられない」と述べた。

これは、明らかな内政干渉だ。

もしも日本の大使がモスクワで「ロシアの北方領土占領には正当性がない」と主張したのならばどれほどの抗議が来ることだろうか。このブログで再三再四説明してきたように、ロシアの北方領土占有には正当性がまったく存在しない。ロシアは北方領土を不法に占拠し続けている状態だが、そういう不法行為を行っている方が「日本の教科書はおかしい」と盗人猛々しい主張を行っていることになる。まともな政府ならば、こういうならず者のような発言にはきちんと正論を言い、向うの非を非難するはずだが、残念ながら現在の政府はそれを行っていない。「日本側が何かを言うとまた貝に閉じこもってしまうから」と考えている者たちがいるからのようだ。だが、以下でも指摘したことだが、現在のロシアはソ連時代のように貝に閉じこもることはできない。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-27

貝に閉じこもっていられなくするためには、いくつかの手段がある。まず、普通に考えられることは「ロシア極東との取引を完全に0にする」ことだ。日本は、米国を中心とした旧西側諸国と中国と東南アジアやアラブ諸国などを相手に貿易をしているのだから、ロシアとの関係など0になっても全く困らない。むしろ、ドイツのようにロシアとの関係を深め引くに引けない状態に持ち込まれないことの方が重要だ。ロシアの極東経済は非常に小さいから、日本が突然、極東経済から完全に抜けると、途端にロシア極東には不況の嵐が吹くことになる。日本と貿易をしてもらって維持できている地域が、他人の痛みを理解せずに歴史を無視した言いたい放題の暴言を吐けばどうなるかを見せつけるべきだ。

そうしておいて、ロシアの本拠地であるヨーロッパロシアの方が困る手段を講じるのも一興だろう。現在のロシアは資本主義的な取引の環境にいるから、中国のように為替や株式を完全に独裁的に抑え込むことができない。今では中国でさえあからさまに為替や株式を操作できなくなっているが、ロシアはこの度合いがもっと強いから、為替操作や株式操作を行うことが十分に可能だ。為替相場や株式相場は、大きな資金を持つプレーヤーが本気で売買すると、大きく変動させることができる。例えば、ジョージ・ソロスのヘッジファンドはほぼ単独でイングランド銀行を相手にポンド売りを仕掛け最終的に成功させている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%B1%E6%A9%9F

おなじソロスのヘッジファンドが、その数年後にアジア通貨の売りを仕掛けたために、アジア通貨危機が起こっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%8D%B1%E6%A9%9F

株式市場でも、数社のヘッジファンドが売りを仕掛けたために、昨年暮れに規模がロシアの10倍くらい大きい米国市場をさえも動かし、株価が何十%も暴落している(これは、米中経済戦争により中国が資金の引き上げを行った嫌がらせの結果でもあるのだろうが)。いずれにしても、ごく少数のプレーヤーが仕掛けるだけで、為替相場や株式相場は非常に大きく変動する。上のアジア通貨危機においては、通貨の下落が連鎖したために日本を含む多くのアジア諸国が辛酸を舐めさせられた。インドネシアに至っては、ルピアの価値が数分の一に下落するほどその影響が強く表れ、せっかく下落に対応した頃に今度は2倍に上昇するなどしてその影響が長引いたために同国の経済が壊滅的な状態になった。その結果、スハルト政権が倒れる一因となったと言われている。

https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2014/2014honbun/i2210000.html
第Ⅱ-2-1-10図を参照のこと

為替レートが何十%も落ち込んだり、逆に跳ね上がったりを繰り返すと、その国の経済は破綻する。そのため、アジア通貨危機の頃から世界各国が協力して一部プレーヤーによる無謀な投機的売買を抑え込むための試みが行われている。しかし、為替や株というのは、単独や数人によるほんの一握りのプレーヤーが仕掛けるだけで大きく変動するものであるから、その後も何度かそういう博打的な投機的売買が試みられ、日本も標的にされたりしている。日本の場合は資金力があったために、例えば、以下のようにして切り抜けたりした。

https://www.youtube.com/watch?v=mR4tQxrlL8U
https://www.youtube.com/watch?v=XUpJrJj9bQs

日本の場合は資金力がダントツであったから上のような対応もできたが、資金力がない国がこれを行うと対抗してつぎ込んだ資金を全部含んだ上で売買戦争に負け、つぎ込んだ資金ごと仕掛けたプレーヤーの利益になってしまう。だから、経済的に規模の小さい国は、上の日本のような対応はできない。日本の場合も、余りに大量の資金をつぎ込んで為替介入を行ったために欧州諸国からは非難され、その後、そういう介入のやり方はとらなくなっている。今では、世界各国が協力し、投機的な売買を見つけると先進国の中央銀行が連携してそれと反対の売買を行い、標的にされた国の経済を助けることが行われている。また、IMFも資金の貸し出しを行い、投機的売買の標的にされた国を救済するようにしている。こういう投機的な通貨売買をロシアに仕掛けることは十分に可能だ。

口実はなんでもよいが、例えば米国にならって「ロシア国債の購入規制」などを行い、その途端に日本の証券業界などにルーブル売りを仕掛けさせれば、一挙にルーブルは下落する。そして、一旦、通貨が激しく動くと通貨の実質的価値は無関係となり、通貨は「博打の手札」としてしか働かなくなる。つまり、チューリップ効果(以下参照)が通貨を「チップ」にして起こることになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB

通貨を一旦どんどんと下落させると「売ればもうかる」と思う者たちが次々に参入して売りに乗るため、最初に仕掛けた者たちは大きな利益を出すことができるのが為替や株の常道だ。上場廃止前の整理ポストにある株に急騰し出す物があるのと同じ原理だ(整理ポストの場合は「買い」だが原理は同じだ)。整理ポストでは、一か月で株券がただの紙片に化すと分かっていても売買ゲームが起こる。ましてや、期限が切られていない通貨だから、一旦流れができるとその流れを止めるのは非常に難しい。そうやって投機的売買を仕掛けた者が大利を得る代わりに標的にされた国の経済が滅茶苦茶になるからこそ、アジア通貨危機などの時に各国が困ったのであり、今では経済規模の大きな日本でさえも世界各国に協力してもらって協調介入を行うようになっている。

さて、そういう流れの中でロシアは侵略行為をウクライナに対して行ったために世界から経済制裁を受けている状態であり、ロシア経済はただ一人で存在していて誰からも助けてもらえない状態にある。つまり、通貨や株を好きに売り買いされても、誰も助けてくれないのである。しかも、経済制裁により「ルーブルとドルを交換させない」という政治的な要因が存在するにも関わらずにルーブルをドルに換えたいという需要があるために、ルーブルは対ドルでどんどん値を下げる傾向にある。(以下参照)

https://jp.reuters.com/article/halliwell-danske-idJPKCN1NR0LH
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-02-19/PN6LZESYF01U01

もしも日本が本気になったならば、強いルーブル安を招来してロシア経済を混乱させることは十分に可能だ。このやり方は、ルーブル高を招くこともできる。もしもルーブル安になると、今でも経済制裁のために苦しんでいるロシア民間企業はドル建ての貸付の返済に首が回らなくなり倒産する企業が続出するはずだ。また、輸入食品の高騰につながり、これまでのようにロシアのインフレ率を押し上げて市民生活を圧迫することにもなる。その結果、生活が苦しくなった庶民たちのプーチン政権への不満が倍増していくことになる。そうしておいて逆に一挙にルーブル高にしても、これもまた、ロシアは困ることになる。ロシアの歳入の約半分はドル建ての石油・ガス売買に依存しているため、ドルが一挙に安くなると(ルーブルが一挙に高くなると)ロシアの歳入が激減するからだ。また、経済制裁により外国からの食料品が輸入できなくなったために農家に2~3千万円を貸し付けて自国の農業を急激に育てようとしていたりして、半分成功しかけて輸出産業になりかけたりしているが、それらが壊滅的に潰れて行くことだろう。日本は、ロシアの一番困る時期を見計らってルーブル安とルーブル高を仕掛けることができるのだ。為替市場の他に株式市場でも同じことが可能なのであり、ロシア経済を極度に混乱させることなど朝飯前だ。

普通ならば、こういう「破壊的行為」を相手の経済市場で行うと世界各国から非難轟轟となるが、日本が北方領土について正しく自国の立場を広く説明した上でウクライナのことも慮って行うのであれば、他の国々も日本を非難しないはずだ。もちろん、日本政府が表立ってある意味非道な破壊的行為を行うとまずいから、あくまで「民間企業が勝手にやっていることだから」というエクスキューズを用意しておくことは重要だ(かつての米国がインドネシアに行ったように)。

こういうことをやるだけでかなりロシア経済は困るはずだ。しかし、その他にも嫌がらせの手段を日本は各種持っている。例えば、東欧諸国に対してガス田・油田の開発を「経済援助」の名目で大々的に行うなどということも可能だろう。東欧にはルーマニアやエストニアのように、中小規模の油田やガス田が点在している国がある。これらの国のいくつかは戦争直後のソ連によって重宝されたが、シベリアに大規模なガス田・油田が見つかってからは放っておかれた。そのため、せっかくガスや石油があるにも関わらず、ロシアから輸入していたりする。かつては産油国として知られたルーマニアなども、今でこそやっと100%自国の石油消費を賄えるようになったが、それまではロシアの石油を買わされたりしていた。これらの地域に損を覚悟で経済援助を行うと、東欧で石油をロシアから買い入れている国々の消費分くらいを東欧の内部で賄える可能性が高い。その結果、その分のロシアの石油やガスの輸出量は減ることになる。また、現在ローザンヌ条約により束縛されているトルコの資源開発も、2023年頃には束縛から解放されて行えるようになる。それに合わせて、その前からトルコにおいて石油・ガス探索とその生産準備に手を貸すこともロシアの石油輸出を減らすことになる。現在のトルコは石油を外国(特にロシア)から買っている状態であり、そのため石油価格が変動はトルコ経済の変動に直結している。この安定化に寄与できれば、日土の友好にも寄与することだろう(トルコがオランダ病を嫌がっていなければの話だが)。これらの開発は東欧諸国やトルコとの親善と友好の発展のために貢献するのであり、経済援助をすることにロシアが文句を言える余地はないはずだ。

日本には、この他にも対ロ制裁の手段がいくつかあるが、そこまで行う前に「相手の国民に正しい情報を知らせる」という努力をすることがまずは一番重要だろう。
そのためには、日本政府がきちんと「正しい経緯」を説明すること、説明できることが重要だ。しかし、日本政府の責任者たちが何も理解していない無能ばかりであり、ロシア発信の嘘の情報の方をもとにして判断しているようでさえあるのだから、向うの国民に真実を知らせることなど夢のまた夢の状態だ。
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ロシアの経済的事情

最近、ロシア側が、北方領土に関して何かと日本側を刺激する行動をとっているようだ。

 https://digital.asahi.com/articles/ASM3D5HWPM3DUHBI027.html
 >ロシア、北方領土で軍事演習 500人規模、軍用車両も
 https://jp.reuters.com/article/ru-internet-idJPKCN1QF309
 >ロシア、北方領土の3島に高速インターネット網構築…
 http://news.livedoor.com/article/detail/16096816/
 >露、北方領土開発へ 1兆4千億円規模で特区拡大計画露、北方領土開発へ 1兆4千億円規模で特区拡大計画

このうちの経済開発について、最初に考えてみる。

まず、ロシアにおいて北方領土を管轄している極東地域について概観すると以下のようになる。

ロシアの国土は、西三分の一のヨーロッパロシアと呼ばれる地域、中央三分の一の主にシベリアと呼ばれる地域、東三分の一の極東と呼ばれる地域から成り立っている。これら三つの地域の人口比は、大体以下のようになっている。

 ヨーロッパロシア:シベリア:極東
     110 : 30 : 6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E9%80%A3%E9%82%A6%E7%AE%A1%E5%8C%BA

ヨーロッパロシアから見れば、極東ロシアというのは数千km離れた人口の少ない僻地でしかない。ヨーロッパと極東との間には広大なシベリアが広がっているため、シベリア鉄道や最近整備されたシベリア横断道路などが存在しはするが基本的には途中に広大な通行不能の海洋が広がっているようなものであり、東西両地域が経済的に結びついて活発に物をやり取りできるような状況にはない。だから、極東ロシア経済はヨーロッパロシア経済とは別に独立独歩で採算を立てなければならない状況にあるが、主要な産業がないため長く独り立ちできない状態が続いていて、ヨーロッパロシアから取り残されて開発が行われないできた(そういう事情は、中央ロシアのシベリア地区も極東よりかはだいぶましではあるがほぼ同じだ)。ロシア極東地域は、日本では「僻地」と言われる知床地域などの何十分の一の人口密度しか持たない。ロシア極東地域は日本の国土の十数倍の面積を持つが、そこに住んでいるのは千葉県の人口とほぼ同じ620万人くらいだから、いかに広大な地域にいかに少ない人々が住んでいるのか理解できるだろう。このように極東地域は産業がない上に人口が極度に少なかったため、ヨーロッパロシアからの「寄付金」に頼るしか手がない状態であり、ソ連邦時代からずっと金を食い続けて来た極貧状態のお荷物の地域だ。その極東地域の東端に千島列島がある。

さて、意外に知られていないが、ロシアという国の経済と国家予算の規模は日本よりはるかに小さい。たとえば、ロシアの国家予算は30兆円前後であり、この中から7兆円くらいが軍事費として消えていく。だから、実質の民生に使える予算は23兆円くらいだ(以下参照)。しかも、今はウクライナ問題で世界から経済制裁を受けているため、そうでなくとも苦しいロシア経済はさらに苦しい状態にある。

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11019010_po_02740107.pdf?contentNo=1

そのような民生に使える予算が23兆円の国が、1.7兆円の投資を極東地域の大陸部に行わずに極東地域のさらに先の島々に対して行うそうだ。日本の場合に当てはめて考えてみれば、国家予算100兆円(軍事費5兆円、民生用予算95兆円)の中から7兆円を出してソロモン諸島より先の島々に投資をするということになる。仮定の話として、もしもソロモン諸島が日本領であったとして、それらを7兆円かけて開発したならばどうなるだろうか?現状では漁業くらいしか興せないはずだ。そこで獲れた魚は上述したよう極東からヨーロッパロシアに持って行って売りさばくことなどできない。だから、日本とソロモン諸島の関係に当てはめて考えた場合、捕れた魚はオーストラリアなどの現地の国々に買ってもらうくらいしか手がない。現在の日本は他の国々に対して非道なマネをしていないため経済制裁を受けていない状態だから、獲れた魚をオーストラリアなどに買ってもらうということが可能かもしれない(その場合でも、魚やカニなどを売った額など微々たるものであり、投資した7兆円分の元を取ることなど明白に不可能だが)。しかし、今のロシアは経済制裁を受けているため世界から相手にしてもらえない。ましてや、開発を行い怒らせた日本が獲れた魚などを買ってくれるわけがない。もちろん、漁業以外の産業を興こすことはもっと絶望的だ。例えば、各種産業が存在する上に観光でも有名な北海道のように観光で食べていくことができるだろうか?それはうまく行くわけがない。なぜなら、観光で人を呼ぼうにも、北海道のような札幌や旭川などの大都市がない単なる未開発の大自然だけの島々に開発費に見合うほど観光客が行くことがないのは火を見るより明らかだからだ。ロシアにとっては、北方領土で産業を興こすことなどできない。つまり、ロシアにとって北方領土の開発は、はっきり言って「無駄」でしかない。そういう「無駄」に、日本の面積の十数倍はある極貧状態の大陸の極東地域を放っておいて金をかけるというのだから、是非にやっていただきたいものである。

今のロシアには大した産業がないために、経済活動や国家予算の多くを石油とガスに依存している。しかし、今のロシアには金がないから、油田やガス田開発などをうまく行えない。経済制裁を受けているために、ロシアの外貨獲得にとって唯一の頼みの綱である油田とガス田の開発が行えないのだ。そうでなくとも油田・ガス田開発のための資金などなかったために、日米英欄などの企業に鉱区を売って開発させ、生産分与により上がりを吸っている状態だ。油田・ガス田は一つの井戸ではすぐに枯れてしまうため毎年次々に生産地域内で生産拠点を移動して開発を続ける必要がある。今のロシアでは経済制裁によりそれができないのだから、やがて生産量がどんどんと落ち込んでいくこと必定だ。そういう窮状にある国が莫大な無駄な投資をすると言っているのだから、そういう行為は「はったり」でしかない。

大局的に見てみても、今のロシアは切羽詰まっているはずだ。ロシアがなんとか石油やガスの生産を継続できたとしても、今から16年後の2035年頃には核融合の実験商用炉が現れるだろうと言われている。そして、そこからさらに10年経った2045年ごろまでには、普通の商用炉が運転を始めるだろうと言われている。核融合炉というのは、今の原子力発電が用いている核分裂炉とは原理が異なりはるかに安全だ。だから、明白に、核融合炉は将来のエネルギー産業の基幹方式となって行く。その場合、核融合炉のエネルギー源は自然界の水の中に一定程度存在する重水などであるから、自然界から水を取って来てそこに一定程度含まれる重水などを分離するだけでエネルギー源が得られることになる。つまり、あと十数年から二十数年後の社会においては、産油国のアドバンテージなど消えてなくなるのだ。

今のロシアというのは、ソ連邦時代に閉鎖的な環境下で西側の経済発展から取り残されたために、各種産業が立ち行かなくなるくらい遅れている。自動車、精密機械、半導体、コンピューター、食品産業、etc.etc.が旧西側諸国の企業に依存している状況だ。鉄やコンクリートなどのソ連邦時代からの重厚長大産業は健在であり軍需産業は相変わらず世界トップレベルの技術を誇っているようではあるが、それだけでは渡っていけない社会・時代になっている(ソ連邦時代の自給自足経済体制に逆戻りしたのならば、政権が倒れること必定だ)。だから、ロシアは石油・ガスなどのエネルギー産業以外の産業を立ち上げようと必死になっている。ところが、どれも成功していない。それは、当たり前の話だ。旧西側諸国の企業が4,50年の間必死になって技術開発や商品開発を行ってきた傍らで、一人歩みを止めて停滞していたのだから。資本の蓄積と技術の蓄積が行われ更に食い合いによる統廃合により超巨大企業が出来上がっている分野に、今さら技術を持たない中小規模のロシア企業が新規に現れて太刀打ちできるわけがない。ロシア以外の先進国の企業においてさえ、必死になって経済競争を行って来ても、いくつかの分野で敗れて資本と技術の蓄積が必要な分野には二度と戻れなくなっている。巨大な資本と技術力を掛けて最先端のしのぎ合いを行っている企業でさえ経済競争において厳しい状況にあるのに、ましてや、4,50年も遅れている資本も技術力も持たない勢力が割り込めるとは思えない。ロシアのこの状況が、核融合における2035年の実験商用炉の稼働や2045年の実用炉の稼働までに自然に改善するわけがない。そして、そのように他の産業が興っていない状態でエネルギー資源への需要が減って行くと、ロシアは永遠に二流・三流国の中に沈んでいくことになる。

つまり、時間を切られているのはロシアの方なのだ!

そうならないためには、今のロシアにはどうしても金が必要だ。タイムリミットまでに金を稼いで各種の開発を行いたいはずだ。各種インフラを整え、エネルギー産業以外の自国産業を興し、農業や食品産業などの既存の産業の強化も行いたいはずだ。ところが、今のロシアは、世界からの経済制裁により金を稼ぎ難くなっている。そういう状況下で、日本は今年に入って以下のようにロシアからの石油やガスの輸入量を減らしている。

 https://jp.sputniknews.com/business/201903055998891/
 >2019年の初めから日本はロシア産石油の買入量を一気に40.5%
 削減した。また液化天然ガス(LNG)の輸入も前年同時期比で7.6%
 減少した。一方で米国の炭化水素の輸入は急増。石油は328%、LNG
 は36.1%増加している。

ロシア極東の経済規模は非常に小さい。ロシアという国家予算が日本の三分の一、経済規模が日本の二分の一くらいの小さな国の中で、さらに西部地区の数分の一という経済規模しか持たないのが極東地域だ。日本は数年前に、この非常に小さな経済規模の地域からの石油やガスの輸入量を大幅に増やした。民主党政権時代に日ロ関係は冷え切ったが、自民党政権に変わったとみるやプーチンの方から安倍にすり寄って来て経済協力が進んだためだ。その結果、千葉県の人口くらいしか住んでいない極小の経済規模の極東地域に、日本からだけで毎年1兆円前後の貿易黒字が発生するようになっていた。それまで何も産業がなくお荷物状態だった極東地域において、2000年代からガス・石油の輸出が強化され、2012年の安倍プーチンの時代になってから一挙に輸出量が増えて行った。極東全体ではまだ人口が減りかけていたりするが、一部の油田・ガス田地帯の周りでは経済が潤い成金が続出している。極東地域は、地理的要因のためにヨーロッパロシアと物資の大々的なやり取りをできないが、代わりにヨーロッパから離れた日本、韓国、中国などへのエネルギー資源の輸出により何とか独り歩きをできるようになりかけている。そして、潤った極東地域が経済的発展を背景に強気な態度に出て、領土交渉においてはロシア極東の民意が国粋主義的になっていた。

日本は、領土交渉がうまく行きそうに思えた昨年9月以降、経済制裁により減ったガス・石油の輸入量を一挙に増やした。ところが、ロシアが領土問題で屁理屈を並べて強硬姿勢を示したためだろうが、日本は年頭から輸入量を激減させている。しかも、輸入先を米国に切り替えている。こういう状況下で行われたのが、冒頭に引用した記事の「軍事演習」や「経済開発」の話だ。今のプーチンの一番の関心ごとは、ロシア経済の話だ(以下参照)。

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40896350V00C19A2000000/
 >ロシア成長率2%台止まり、プーチン政権に逆風
 https://jp.wsj.com/articles/SB12479105983883464394704585197761025137670
 >プーチン人気衰え、支持基盤の地方に生活苦と失望

何とか日本に金を出させようと画策して各種の動きを起こしているのだろう。だから、日本に対し以下のように強気な態度に出ている割には、必ず経済的な話がついて回っている。

 https://www.huffingtonpost.jp/entry/putin-peace-treaty-japan-and-russia_jp_5c8c9b83e4b0d7f6b0f3bfad
 >平和条約交渉、プーチン大統領「失速している」と発言か 地元紙も
 「ロシアは島を引き渡すつもりはない」

ロシア側の公式な発言においても「日本はアメリカ主導の経済制裁に加担するべきではない」「日ロの経済発展にはもっとポテンシャルがある」「領土問題を話すほど日ロの結びつき(経済関係)が出来上がっていない」などという主張がほとんど必ず付け加えられていることから、今のロシアは経済について非常に気にかけていることが分かる。

日本は、これまでに散々にソ連やロシアに裏切られて来た(その事情は追々書くと言ってまだ書いていないが)。プーチン自身もロシア経済が非常に弱かった2000年頃には「4島について議論する」と署名までして日本側と約束した。ところが、誰のおかげでロシア経済が良くなったのかも理解せずに、ロシアの経済的な状況がよくなると「領土問題は存在しない」と態度を180度転換した。そういう国に対しては、今は「大安売り」をした上に義務も必要もない経済援助を行う言われなどないだろう。日本に対して理屈の立たないめちゃくちゃを言いたい放題言い、都合が悪くなると鉄のカーテンの向こう側に貝のように閉じこもって完全シャットダウンを繰り返した「舐め切った」ソ連時代の「政策」が通じるとでも思っているのだろうか。アメリカによる経済制裁を利用し日本側の最後の一押しによりロシアの政権を一度潰しておけば、ロシアという国の政権において極東の日本に対する見方が変わり、「軽く見ていい加減なことを言い、都合が悪くなると完全に無視をすればいい」などということは、次の政権では絶対に行えなくなるだろう。まだいくつか外交手段は残されているようだからいきなりそういうきつい経済制裁を行うことはないだろうが、ロシアが舐め切った態度での対日外交を続けるのであれば、最終手段として日本側も今の「緩すぎる」と旧西側諸国から批判されている対ロ経済制裁の引き締めを検討する必要があるだろう。
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北方領土についてのロシア側主張のおかしさ

ソ連やロシアは北方領土についていくつか主張を行っているが、いずれの主張にも正当性はない。北方領土に対するロシア側の主張をきちんとまとめた物が現在ではネットに提示されなくなって来ている。ソ連の権益を継受したロシアは「(ソ連邦時代に)解決済み」と自信をもって誤解した状態であり、北方領土問題の内容を詳細に検討していないからだ。そのため、問題の根本を掘り起こすと、前回指摘したようなソ連邦時代に言われた滅茶苦茶な主張が依然として「正当な解決済みのもの」としてまかり通っている。ソ連側の主張は、サンフランシスコ講和条約や日ソ共同宣言に関係していくつか書いたが、ここではネットに転がっているソ連邦時代から継続しているロシア側の主張についていくつか見てみようと思う。



まず、ソ連邦時代からの典型的な主張としては、以下に現れるように「ヤルタ協定」を根拠としたものがある。

 (1) http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/RussiaKunashir/HenkannFuyouron.htm
 >イーゴリ・ロガチョフ ソ連外務次官
   「イズベスチヤ」一九八九年四月二十四日
…戦後日本の領土主権に関する最重要文書は、ヤルタ協定(一九四五年)である。同協定で,クリール列島のソ連割譲」が直接規定されている。…

ヤルタ協定というのは日本に知らせずに秘密裏に米英ソの間で結ばれた秘密協定であるから、領土の割譲に関する国際法上の正当性を何ら保証しない。普通に考えてみれば、当事者の知らない間に第三者同士が秘密協定を結び「私にこうしてくれるなら当事者の権利を取り上げてあなたに差し上げる」と約束することは「強盗行為」や「侵略行為」そのものであるのだから、「この戦いは利得や領土拡大のためではない。日本の侵略行為を正すための戦いだ」とカイロ宣言やポツダム宣言で強調した米英が公の場でヤルタ協定を推すことはできない。実際、ヤルタ協定に関係した3国のうち米英2国は既にその正当性を否定しているから(以下(2)参照)、ヤルタ協定が有効だと主張しているのはソ連だけという状態だった。つまり、ヤルタ協定はソ連の説明と180度異なり、国際社会では何の意味も持たないのだ。そういう事情は既に以下で説明した。

 (2) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-01

上記(1)のロガチョフの主張においてはヤルタ協定に関係してサンフランシスコ講和条約についても以下のように主張しているが、これも正しくない。

 (3) >…ヤルタ協定とその合意事項は、一九五一年のサンフランシスコ
    講和条約で確認され、…

実際、サンフランシスコ講和条約の条文作成に貢献した主だった締結国である米英仏は「同条約において、千島列島を日本からソ連に向けて割譲させたという認識はない」と述べている(以下(4)参照)。これは、日ソ共同宣言の交渉時に日本から米英仏に対して事実確認を行ったときの三国の回答である。

 (4) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04

また、サンフランシスコ講和条約では、ソ連を念頭において「非締結国はこの条約からいかなる形でも利益を引き出してはいけない」と規定している(以下(5)参照)。

 (5) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-03
 >第二十五条
 この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二
 十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合
 に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二
 十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国で
 ないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるもので
 はない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいか
 なる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のため
 に減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

この第25条によれば、ソ連やロシアは「(領土問題をソ連やロシアに有利に導くために)日本が千島や樺太を放棄した」と主張することが一切不可能になる。なぜなら、日本が千島や樺太を放棄した条約はサンフランシスコ講和条約ただ一つにおいてであり、そのただ一つの条約をソ連やロシアは第25条のためにどのような形においても利用してはならないからである。第25条は約50カ国が集まって作り上げた重要な国際条約であり国際社会における重要な約束事であるから、ロシアもこの条項は順守しなければならない。それを無視してサンフランシスコ講和条約から都合の良い一部だけを自国の利益のために引用するのであれば、多くの国々が同意して作り上げた国際条約に公然と違反することになり、ロシアが無法者国家の烙印を押されることになるだけだ。ドイツ最終規定条約のように国際社会において複数国で話し合うことを絶対的に嫌がり、日ロ2国間交渉に拘泥したのはソ連とロシアであるから、日本側にこのように主張されてもロシアは何も文句を言えまい。1950年代というまだ戦争が終わったばかりであり国際社会における対日感情が非常に悪かった時代には、敗戦国日本が堂々と第25条を盾にして「貴国ソ連にそう主張できる権利はない」とは言えなかった事情が存在する。しかし、今でもそういうソ連邦時代の無謀で国際法に堂々と違反する主張が通用するとは思わないことだ。金科玉条のようにサンフランシスコ講和条約を引用して何かの利益を主張するという違法行為はもう通用しないのだ!各種事情により歪んでしまった話を元に戻して、論理的に「法と正義」の観点から領土論を論じることのみが、日ロ両国の未来の発展をもたらすということを理解するべきだ。

以上をまとめると、ヤルタ協定は侵略的密約であるから、国際法上は否定されるだけでありなんらの保護も受けないし保証もされない。また、ヤルタ協定について密約相手の米英により既にロシアの主張は否定されていてロシア一国がその有効性を主張しているだけの状態であるから、そういう意味においてもロシアの主張するような「国際的な承認」など微塵も存在していない。

さらに、サンフランシスコ講和条約については、ロシアが同条約を引用して何かを主張することを行ってはならない。ロシアの好む「国際社会を否定した二国間交渉」においては、ロシアは「日本が千島や樺太を放棄した」という根本も根本の部分から条約的なロシアの正当性を説明する必要があるが、それは、上述したように神仏でも不可能なことだ。

以上説明したように、ソ連やロシアは「国際法的解釈」や「国際社会における承認」などについて実にバカバカしい主張を繰り返して来た。上述した例以外にも、ソ連は、日本固有の領土について保障したカイロ宣言とポツダム宣言から条文の一部だけを切り出して非論理的な逆の主張を行った。また、占領軍が「一時的に」として「この命令は最終的な領土を定めない旨」を警告した上で発したSCAPIN677号の一部だけを切り出して自国に都合がよい主張も繰り返した。ソ連が北方領土の不法占拠についてそのようなバカらしいレベルの滅茶苦茶な主張を行っていたことについては以下でも説明した。

 (6) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04

ソ連はそういう滅茶苦茶な説明の数々を問答無用で主張し続け、日本が何か言うと鉄のカーテンの向こう側に閉じこもり「完全に無視すること」を繰り返した。ソ連からロシアに代わっても全く理由の立たない屁理屈を次から次へと目先を変えては主張し、日本側とまともに交渉しようとしていない。例えば、最近においてもラブロフは「国連憲章の敵国条項についての不正確で意味をなさない引用」などを行っている(以下参照)。

 (7) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-05

ロシアは、自分たちの先輩たちが行った問答無用の無茶苦茶な主張を「正しい既成事実」と勘違いして領土論を展開しないことだ。



以上、ロシアの北方領土占領について条約上の根拠がまったく、何も、皆無に存在していないことを説明した。後は余談として、ソ連やロシアの側の歴史認識についても誤りがあること、また、どうやったらそう考えられるのかと思えるくらい論理展開に無理があることを指摘しておく。

 (9) (上記(1)発言から)
 >しかし、ロシア人探検家が、十七世紀前半の時代から北太平洋
  の島々を含む極東の新しい土地を発見したことは、歴史資料が
  証明している。十八世紀、南部を含むクリール列島の全島がロ
  シアに属していた。

上に書かれた「歴史」が全くのでたらめであることは、以下を読んでいただければわかることだろう。

 (10) https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-06

日本人は16世紀末までには蝦夷地全域を緩く支配し、その結果、17世紀初頭には根室を拠点としたアイヌ(国後や択捉を支配したアイヌ)が北海道西部に来て交易をしていた状態だ。北方領土の支配も17世紀後半から18世紀初頭に終わっていて幕府に報告書が出されていた。ロシアは、その頃になってやっとのことで誰も行きたがらない極東地域に囚人兵を送り込み、南千島から数百kmも離れた北千島の最北端において原住民のアイヌたちと抗争を始めたばかりだった。そこから更にアイヌたちを切り従えて南千島まで数百km南下して来るまでに数十年もかかっている。そして、幕府が既に番所を置き数百人の役人を配置し、民間人も大量に入り込んでいた南千島の択捉島を軍艦で攻撃し、樺太などの日本人居住地域も攻撃して侵略的行為を行った。ロシア人には「どちらが元々住んでいて侵略を受けたのか?」ということが理解できていない。その結果、文句のつけようのない完全な「日本の財産」に対して「(日本が侵略をして煩いから)江戸時代に恩恵的に日本に譲ってやった(だから返すのは当然だ)」という主張を行っている。こういう間違った歴史認識の上に、以下のようなサンフランシスコ講和条約案作成時にも行われた非論理的な主張がそれから40年ほど経った時代にも平然と繰り返されている。

 (11) (上記(1)発言から)
 >しかるにその後、日本は領土拡張主義に乗り出し、結局は日露
  戦争の勃発と日本によるサハリン南部の奪取という結果になっ
  た。これにより、国境線の画定に関する両国の協定は、すべて
  御破算になってしまった。

上記のように「サハリン(樺太)南部の奪取」と言うからには、「サハリン(樺太)がロシアの物であった」という証拠が必要だ。沿海州を含む樺太周辺は、1689年のネルチンスク条約から1858年の璦琿条約まで中国の領土だった(以下参照)。

 (12) https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/aa/d5839d63027e70d69d5bb657790be64b.gif

だから、ソ連が「樺太はソ連の物だ」と言うためには、何処かで領土の切り替えが行われていなければそう言うことができない。そういう国境線の変更・確定は、1875年の樺太・千島返還条約により初めて行われた。もともと樺太には樺太アイヌなどが住んでいて大陸アイヌを通して沿海州の中国人たちに貢物を送ったりしていたが、日本人とロシア人は、中国の清朝が弱り周辺領域の管理を行えなくなったことに乗じていつのまにか江戸時代から樺太に住み着くようになった。そういう事情は、清が璦琿条約により正式に沿海州をロシアに割譲した後も続いた。この頃の清朝は、周辺地域を管理する余裕は江戸時代よりも更になくなっていたため樺太に口を出せる状況ではなかった。そこで、実際に自国民が住んでいて権益が存在した日本とロシアで樺太の帰属を決める話し合いが持たれた。その結果、上述(10)でも説明したことだが、1875年に樺太・千島交換条約が結ばれロシアは樺太を得る代わりに日本は北千島をロシアから譲り受けた。

つまり、1875年の条約によってはじめて「樺太はロシアの物だ」と主張できることになる。

そういう事情を考えながら上の(11)の主張をよく見ると、ソ連は「樺太を奪われた」「樺太はロシア領であった」と主張するときには1875年の条約に依拠していることになるのに、日本の北方領土への主張については「1875年の条約は無効になった」と主張している。つまり、ソ連の主張は自家撞着・矛盾を起こしている。このように、ソ連の主張にはいたるところに非論理性がみられるため、そういう非論理性の上に作られた主張は全て意味がない。

こういうめんどくさい事を考えなくても、歴史上確認できるようにそもそも「日本の財産」であったものが「御破算」になることなどあり得ないのは火を見るより明らかだ。(ロシアという国は他者の財産権というものをどのように考えているのだろうか?)

このように、北方領土問題について非論理的な発言をするロシア人はネットにも結構存在している。以下の例にも、非論理的な主張を見ることができて面白い。

 (13) http://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu23.data/Tkachenko_B_I.pdf

このロシア人の主張も、御多分に漏れず「ヤルタ協定」や「サンフランシスコ講和条約による千島の放棄」をロシアの千島領有の根拠としていたりするが、それらについては上述したから、この作者だけに見られる非論理性を見てみよう。

 (14) (上記(13)から)
 >したがって、クリル列島南部の一部を除いたクリル諸島および
  南サハリンに対するロシアの主権を承認した二国間の平和条約
  が露日間で締結されれば、上記のサンフランシスコ平和条約第
  26 条が自動的に効力をもつようになり、クリル諸島および南
  サハリンに対するロシアの領土獲得権は日本を除いた同条約の
  当事国にも適用されてしまう。…恐らく、このケースでも共同
  統治のシナリオが展開され、日本が何も獲得することはないで
  あろう。

サンフランシスコ講和条約第26条というのは、以下(15)のように「日本は、日本から見た旧敵国の一部に特別に有利な条件を与えて平和条約を結んではいけない」という規定だ。この条項は、日ソ共同宣言の条約交渉時にダレスが日本に向けて「国後や択捉などの日本固有の領土をソ連にくれてやるなら、第26条により米国も日本固有の領土である沖縄がもらえるはずだ」と主張した際に使われた。

 (15) http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html
 >第26条
 日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しく
 は加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に
 第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条
 約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は
 実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべ
 きものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効
 力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、
 この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和
 処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、
 この条約の当事国にも及ぼさなければならない。

さて、この条項によれば、日本が「与えるのではなく与えられる」のであれば何も問題がないことになる。サンフランシスコ講和条約において日本が放棄したことになっている北方領土の4島に対し、ロシアが日本に返還しても日本から他国に対して何かの権益を与えたことにはならない。というか、条文の意味を理解せず下手に「サンフランシスコ講和条約に規定された平等」を主張するのであれば、もしもロシアが4島を返還した場合「ロシアが認めて北方領土を返還したのだから、米英蘭等もロシアによる北方領土の返還を認めろ」とわざわざ日本側の立場を応援してその他の国に対して説得する作業までロシアに負担してもらえることになる(笑)。そういう冗談は置いておいて、第26条が存在しても日本側にとっては何も困ることがないのであり、北方領土がすんなりと返還されるだけで終わる話だ。このように、なんでもよいから何か屁理屈を主張して北方領土の返還を拒むのはロシア人の常とう手段だ。

ちなみに、この著者は「日ソ共同宣言」の文言についても変なことを主張している。

 (16) (上記(13)から)
 >共同宣言第9条の内容からすれば、両国は前掲の歯舞諸島および
 色丹島をソビエト連邦が所有する領土と見なしていることは明らか
 である。ソ連はこうした領土を、「日本国の要望にこたえかつ日本
 国の利益を考慮して」、すなわち善意の印として、互いに取り決め
 られた条件に基づいて、日本に「返す」のではなく、「引き渡す」
 こと(贈与行為)に同意している。明らかなのは、贈与されうる(
 引き渡されうる)のは、所有者が所有権を有して実際に持っている
 物のみである

この主張は「領土問題が存在することを松本―グロムイコ書簡を公表することにより確認する。その代わり文言は譲る」とした交渉の経緯を忘れた主張でしかない。また、法律的には物には「所有権」と「占有権」が存在するということも理解できていない。日本は所有権について譲った覚えは一つもないのであるから、ロシアが占有権を譲って退去すれば、日本側にとって何も問題がないことになるのだが。



以上のように、北方領土に対するソ連やロシアの主張というのはどれも滅茶苦茶であって全く根拠が存在していない。こういう理由なしのごり押しを何十年も続けているうちに、ロシア人たちも「根本部分が理由・根拠のないごり押しである」ということを忘れてしまい、自信をもって「正当な既成事実である」と錯覚している状態になっている。返還交渉においては、まず、しつこいくらいに向こうの主張の事実を誤認している部分と非論理的な部分を突いて、向う側に「理不尽なことをしてしまった」という反省の念・後ろめたさを発生させることが必要なはずだ。そういう説得の仕方が、諸事情によりうまく機能していないように思えるのだが。


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日ロの国際環境の変化

日本側には、まるでソ連やロシアの操り人形のようにおかしな意見を言う者たちが存在することは以下で指摘した。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-06

そういうおかしな者たちに騙されたのだろうが、日本の政治家にもおかしな意見の尻馬に乗っていい加減な主張をしている者たちが存在する。たとえば、以下のように主張している鈴木宗男がその典型だ。

https://dot.asahi.com/wa/2019021300081.html?page=2
>「戦中、戦後の国際的な手続きに基づいて正当に領土になったというロシアの主張は正しい。カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言などを踏まえて、北方領土は画定されたのです。

鈴木の上記発言は全く意味をなさない。カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言については既に以下で説明したから読んでいただければ、上記発言が全くのでたらめであることが明白にわかるはずだ。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-01
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-03
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-05

鈴木は、「日本側が正しいとしか言いようがないこと」を交渉のテクニックとして主張を控えているのではなく、本心から「ロシアにのみ根拠があり日本には一理もない」と考えているのだから呆れ果てたものだ。このようなでたらめな発言に加えて、鈴木は以下のようにも主張している。

>「ロシアとの領土問題交渉の基礎となるのは、1956年の日ソ共同宣言(以後56年宣言)です。平和条約締結後に、歯舞群島と色丹島の2島を日本側に引き渡すというものです。…松本さんの名著『モスクワにかける虹』を読めば、歴史的経緯がよくわかります」

鈴木が引用した松本俊一の本には、鈴木の説明とは全く違う日ソ共同宣言の交渉過程が書かれている。そこには、鈴木の主張とは真逆の「4島どころか千島全島に加えて南樺太まで考慮すべきだと日本側が主張していたこと」が記されている(以下参照)。

 「日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実 松本俊一 著 佐藤優 解説」P.203より

 八、 一 九五五年八月十六日日本側提出の条約案
       :
 第 五条 一 戦争の結果としてソヴィエト社会主義共和国連邦によつて占領
    された日本国の領土のうち、
 (a) 択捉島、国後島、色丹島及び歯舞諸島については、この条約の効力が
    生じた日に 日本国の主権が完全に回復されるものとする。
 (b) 北緯五十度以南の樺太及びこれに近接する諸島並びに千島列島につい
    ては、なるべくすみやかにソ連邦を含む連合国と日本国との間の交渉
    によりその帰属を決定するものとする。

当時の国会では保守革新ともに上記の案が大多数を占め、それ故に、全権たちが引くに引けなくなって条約交渉が暗礁に乗り上げた。そして、弱気になった全権たちが今度は「2島だけ」でソ連と手を打とうとして日本が内密に米国に相談した時、米国のダレスによって恫喝されたいきさつが書かれている。結局、日本は、米国に言われるままに上記日本側案から「北千島、南樺太」を除いた人為的でいびつな妥協案をソ連に対して主張することになった。そして、領土については画定させずに条約ではなく宣言という一段緩い形で準平和条約を結ぶことになった。

鈴木は、上記の本のどこをどう読んだのだろうか?

当時の日本側は、鈴木の言うような2島返還ではなく、4島以上の返還を強硬にソ連に対して主張していた。カイロ宣言で「日本が平和的に得た領土は保障する」と日本に約束した米英ソが約束を違えて千島列島を日本から取り上げたのだから、日本側としては当然の反応と言えるだろう。まだ弱かった明治時代の日本が樺太をロシア帝国の恫喝の前に泣く泣く諦めて痩せて狭い千島列島を押し付けられた経緯を無視し、その千島列島さえも難癖をつけて奪ったのだから、当時の日本人たちの反発は尋常ではなかったことを理解するべきだ。当時の日本人たちは、条約的根拠が一つも存在していないソ連の千島占領に対して強烈な熱意をもって「全千島を返せ」と主張していた。条約的には日本に100%の根拠がありソ連には一つも根拠がなかった。そこがソ連だけではなく、カイロ宣言を反故にして理由なく日本に千島を放棄させた米国の弱みでもあった。だからこそ、日ソ共同宣言の交渉時に米国は日本に対して以下のように提案したのだ。

 米国案1 「歯舞・色丹だけを主張して、千島列島は国際会議にかけろ。
       ただし可能性は低くなる。(他国は応援しないだろう。
       米国も応援し難い)」
 米国案2 「4島だけを主張して、その他の千島列島は諦めろ。」

この米国の提案は、ダレスの恫喝が行われる一年前に既に日本側に提示されていた。この案によれば、いずれにしても、南樺太はおろか4島以北の千島10数島に対する返還要求を日本側は諦めることになる。そして、実際に日本はそうさせられ、米国案2によりソ連に対して全千島20島の返還要求から4島返還のみを主張するように態度を変更した。その譲歩も譲歩した4島返還の要求さえソ連が拒否したため、1956年当時の交渉においては「領土については保留、その他については合意」という形になっている。どこに「日本人は2島のみの返還で納得していた」などという話が出てくるのだろうか?当時、「2島のみ返還」を主張したのは、自由党と民主党が合併してできたばかりの自民党の中の旧民主党系の中のさらに半分くらいと社会党の中の半分くらいのはずだ。その他の議員たち、つまり、自民党の中の旧自由党系の全部と旧民主党系の中の半分、野党共産党の全部、野党社会党の半分という国会での圧倒的マジョリティーは、「4島だけではなく全千島を返還しろ」と主張していた。実際、全権の重光葵が勝手に4島返還を諦めて2島返還で交渉をまとめようとしたときは閣内一致で強く反対し、交渉をまとめさせないために重光を米国に派遣して交渉の現場から外したりもしている。

米国案2というのは日本のためにもなったが、米国が日本の拡張を望んでいない面もあったようだ。1950年代というのは、同年代初頭までGHQが日本の再軍国化を恐れ兵器となりえる航空産業の規制を継続していて、また、優秀な航空機を作る技術を継承させないために東大などの航空工学科を解体したばかりの時代だ。戦争に行ってきた兵隊たちが大量に生きていた時代だったから、日本国内でも「再軍備」や「徴兵制復活」などを切望する層が大量に存在した。そういう者たちに米国は細心の注意を払い、報道規制は解かれても、戦争賛美映画への規制などは継続していた時代だ。軍国主義的な者たちを排除するために、公職追放なども行われたばかりの時代だった。1980年代になってさえ、たとえば中曽根が「不沈空母」と言っただけで米国は警戒感を露わにした。同じく1980年代においても依然として、米国南部に留学生が迷い込むと第2次世界大戦のことで因縁をつけられ、何年かに1,2件の割合で殺人事件や重度の傷害事件が起こっていた。それくらい日本に対して悪い感情を持つ層が米国には存在した。1990年近くになってさえも、次期支援戦闘機の日本独自開発などは、経済的理由もあったが再軍国化を米国によって懸念され計画が潰されている。1950年代というのは、戦争が終わったばかりであり、日本が英米蘭などに対して講和条約を結んで法律上は敵対国と認定されなくなっただけの状態であり、まだ沖縄も返還されていなければ日本と米国との絆もそれほど形成されていなかった時代だ。だから、当時の米国が日本側の「千島全島の返還」を応援するわけがなかった。ましてや、泰緬鉄道建設による捕虜虐待により5万人中1万5千人が死亡した上に日本のために広大な東南アジアの植民地を失った英国やオランダにおけるひどく悪い対日感情を考慮すれば、日本の「全千島返還」どころか「4島返還」でさえ国際社会において承認される可能性は低かった。実際、その後日本と親密になった米国は英国に何度か「ソ連から日本への4島返還」の話を持ちかけたが、その度ごとに激怒した英国が問答無用の門前払いにしている。オランダも同様の事情により当時の対日感情は非常に悪く、1971年に昭和天皇が国賓としてオランダを訪問した時などは、周り中を群衆が囲んでシュプレヒコールを上げ、生卵を投げつける者さえいたと言われる。また、天皇の乗った車に魔法瓶が投げつけられたため、車のフロントガラスがひび割れたりもした。天皇は同時に英国訪問も行ったが、記念に植樹した植物の苗が引き抜かれ、元に戻せないように苗の根に薬品がかけられたりもしている。今の日本と英蘭の関係においては、考えられないくらい両国の対日感情は悪かった。

しかし、その後、日本が平和外交を続けたことや戦争世代が消えて行ったことなどにより、両国との関係は改善して行った。北方領土の返還に大反対をしていた英国も、1990年手前くらいには「法的には日本の主張を認める」と立場を転換している。オランダにおいても、虐待を受けた元捕虜たちの世代が消えていくに従い、かつてのような反日的主張はそれほど見受けられなくなっている。

一方、ソ連についても西側諸国における見方が180度転換している。戦時中は「同志」として米国が持ち上げたソ連は、戦後になると中国に革命を輸出しただけではなく朝鮮戦争を起こした。ポーランドなどへの介入を快く思っていなかった西側諸国、特に米国は、ソ連が朝鮮半島に暴力的に介入したことによりソ連に対する態度を反転させた。しかも、その後も、ソ連はベトナムやキューバなど各地に勢力を広げようとしたため、米国を中心とした西側諸国と激しく対立した。米国においては1950年の時点でヤルタ協定を守る気など失せていた。ソ連が非人道的行為を続けた上に冷戦期を通して他国を顧みない強権的な政策を続けたためかつての西ヨーロッパの知識人たちの間に存在した社会主義国への淡い期待が完全に消え失せ、ソ連は忌み嫌われて極度に用心される対象になっていた。そういうふうにソ連が認識されるようになっていた1972年に、日本の大平外相が「北方領土問題を2国間で話し合っても埒が明かないから、国際会議にかけて解決しよう」と申し入れたことがあったが、当然ながら、その時のソ連の返答は「ニェツト(否)」であった。ソ連が国際社会に出て行けば、袋叩きに会うことは明白な情勢だったからだ。その当時から、ソ連は「2国間交渉」以外を絶対に行わない。そのことは、次回に指摘する現代のロシア側の主張においても継続している。ソ連は、2国間交渉という閉鎖された空間を利用して、次々に約束の反故を繰り返した(そういう過程についても、おいおい書いていこうと思う)。そして、都合が悪くなると鉄のカーテンに守られた自給自足体制であったことを利用して、日本との交渉を何度か完全にシャットダウンしている。日本の外交官たちがよく「ソ連に貝に閉じこもられると何もできなくなるから」と憂慮していた状態だ。ソ連は、いい加減なことを言っては都合が悪くなると「完全閉じこもり」の状態になってしまうのだから非常にたちが悪かった。

しかし、そういうソ連も米国との経済戦争に敗れ、ソ連邦が崩壊してロシアになり国際社会に出て来ざるを得ない状態になった。ロシアになり強い情報統制が解かれたため、国際的にいい加減な発言を連発しても国内的には鉄のカーテンを利用して国民にはごまかすことができるという時代ではなくなっている。また、今のロシアは国際的なサプライ/デマンドチェーンの中で資本主義的取引の環境に身を置き国の経済を保っているため、そういう意味でもソ連邦時代の自給自足経済のときのように都合が悪くなると会話をシャットダウンして自国に籠るということができなくなっている。さらに、今現在のロシアはウクライナ問題でソ連邦時代のような強権性を発揮して武力介入を行ったために国際社会から非難されて浮いているから、北方領土問題で国際的な賛同を一部でさえもロシアが得ることなど夢のまた夢の状態だ。

資本主義社会においては、言い方はえげつないが「金を持っている方は何でもできる」のだから、日本は自国のアドバンテージをもっと利用するべきだと私は思っている。また、日本と他国の国際関係も良くなっているのだから、サンフランシスコ講和条約第25条を利用して「貴国が言われる『日本が千島を放棄した』ということはどうやって説明できるのか?」と開き直って議論し直すことも可能なはずだ。1950年代の日ソ共同宣言の交渉時ならば、もしも日本がそう主張したならば逆に日本の方が国際社会から袋叩きにあっただろう。しかし、時代は変わって、日本に恨みつらみがある世代が消え冷静に日本のことを考えてくれる世代が増えている上に、ロシアの方は「侵略国家」として世界中から認定され非難されている。「サンフランシスコ条約を利用して物を言うならば、同条約22条に定められた義務に基づき国際会議で全千島20島の所属を決めるべきだ。平和的解決法は嫌か?」と詰問をするくらいでなければ、4島など返って来ないだろう。日本の外交官たちが恐れているような「自国に閉じこもって貝になってしまう」ということは、今のロシアには決してできない話なのだから、そういう点も憂慮しなくてよいはずだ。
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ロシア人の対日戦争観 2

前回説明したように、極東のロシア人たちは対日戦について酷く歪んだ「歴史認識」を持っているため、被害者であるこちら側はそれらを見聞きしているとひどく不愉快な気持ちになる。しかし、ヨーロッパ地域のロシア人たちの「歴史認識」も、極東のロシア人たちに負けず劣らず酷いものだ。ヨーロッパ地域のロシア人たちによれば、日本はドイツと組んでロシアに大迷惑をかけた「加害者」ということになっている。彼らは極東から数千kmも離れたヨーロッパに住んでいるため、他の国々のヨーロッパ人たちと同様に「千島列島がどこにあるのか」「カムチャッカ半島がどこにあるのか」さえ知らない。ましてや、70年も前に極東の地で起こった戦争の詳細についてはほとんど何も知らずに、ソ連邦時代に頭に叩き込まれた「日本は悪い存在であり祖国ロシアはもとより世界全体に迷惑をかけたから、ソ連は正義の戦いを行った。その結果、世界から感謝・賞賛されて北方領土を正当に領有することになった」などというとんでもない対日戦争観を持っている。そういう認識はロシア政府の高官たちにもよく見受けられるのであり、前大統領のメドヴェージェフがそうであり外相のラブロフなどもそうだ。次に述べるガルージン駐日大使もそういう意見の典型を主張している。ガルージンは北方領土については対日強硬派として知られていたが、プーチンはそういう人物を大使にして日本に送り込んだのだから、ロシアは領土問題を日本と話し合うつもりがないことが明白に理解できる。ガルージン駐日大使は、以下のように主張している。

https://jp.sputniknews.com/opinion/201807245153757/
>同意していただきたいのは、ロシア国民が、南クリルに抱いている感情も考慮されるべきだということです。南クリルが第二次世界大戦の結果、合法的にソ連のものになったということは、国連憲章によっても確定されています。我々の国が2700万人もの犠牲者を出して、ナチスドイツとその衛星国に勝利するにあたり最も重要な貢献をしたことは、覚えておくべきことです。

ソ連が北方領土を占領していることに対して法的・条約的な根拠が全く存在していないことは既に以下で説明した。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-01
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-03
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-05

ガルージンの発言は、そういうソ連時代からの間違いやごり押しに加えて、次の重要な点を忘れている。

 ソ連がナチスドイツに勝つことができたのは、
 日本が日ソ中立条約を守ったおかげであること

この日本側からの「恩」については、北方領土の返還理由にこそなっても不法占拠を続けるための理由にはならない。一国の大使が平気で頓珍漢な発言を繰り返している状態だ。



まず、独ソ戦直前の状況を理解しておく必要があるだろう。

1939年、ソ連はナチスドイツと不可侵条約を結んだ。そのとき、ソ連はポーランドの分割・併合とバルト三国のソ連への併合についてもドイツと秘密協定を結んでいた。さらに、将来的なフィンランドのソ連への併合についてもヒトラーから内諾を得ていたと言われる。1939年9月ドイツがポーランドに侵攻すると直ちにソ連もポーランドに侵攻し、東西ポーランドを独ソで折半してポーランドという国を消滅させた。英仏などがドイツの侵略行為を責めるのであればソ連についても同様に責任を追及するべきであるが、ソ連は戦勝国として連合国に加わっているためにその責任はあまり追及されていない。ソ連は単に東ポーランドを併合しただけでなく、同国の復活運動を防ぐためにポーランド人の軍人や知識階級などの「国の頭脳」を何万人も抹殺した。後にソ連が行った軍人への虐殺事件であるカチンの森事件などが発覚するが、ソ連はグラスノスチ政策が行われるまで「ナチスのやったことだ」と強弁して譲らなかった。因みに、当時の東ポーランドはいまだにポーランドから奪われたままだ。ポーランド侵攻直後の1939年11月、ソ連は今度はフィンランド全土の併合を視野に入れながら、まずは領土の割譲を求めてフィンランドに侵攻した。「冬戦争」と呼ばれたこの戦いでフィンランドは圧倒的少数にも関わらずによく防戦したため相対的にソ連軍の実力が低く評価された。そのことがナチスドイツの判断を誤らせ独ソ開戦の一因になったと言われている。多勢に無勢のフィンランドは、結局、国土の10%を割譲させられて講和条約を結んだ。次にソ連はナチスとの密約通りに1940年6月にバルト三国に侵攻して併合した。また、それと同時期にルーマニアにも圧力をかけベッサラビアを割譲させている。

つまり、当時のソ連は「正義の戦い」など行っていない。

ナチスドイツが英仏蘭などの西欧諸国と戦っていた間、ソ連は東欧に侵攻して着々と領地を広げ、全欧州を東西でナチスドイツと折半して領有することが計画通りに進められていた。しかし、ドイツは英国戦線で行き詰ったため、ソ連を征服し欧州全土を掌握して英国に大陸から圧力をかけることを計画し始めた。この結果、1941年6月に独ソ戦が始まった。この時はまだ「連合国」などは存在せず、互いに不可侵条約を結んでいた日独ソの内の2国が仲違いを始めただけの状態であったことに注目しておく必要がある。

ナチスドイツのソ連侵攻作戦は「バルバロッサ作戦」と呼ばれる有名な作戦であるから、詳細を書く必要はないだろう。以下に、ウィキペディアの一例を紹介する。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BD%9C%E6%88%A6

バルバロッサ作戦が始まると、ソ連軍は戦車や飛行機など最新兵器の数や質において劣っていた上に不意を突かれたこともあり次々と敗北を重ねた。この侵攻作戦のとき、それまでソ連に抑圧されていた国々はナチスの味方をした。ルーマニアやブルガリア等はドイツの側に立って戦い戦後に敵国条項の対象国になり、ウクライナはナチスドイツ軍を歓迎して迎え入れたりもしている(ただし、後にナチスの真意を知るとナチスへの協力はなくなる)。ソ連軍は、6月の開戦後敗北に次ぐ敗北を続け、100万人単位の捕虜を出しながら10月初旬にはモスク近郊まで一気に押し込まれた。ドイツ軍の侵攻作戦の成功により、ソ連軍は戦車や飛行機のほとんどが潰されてモスクワが窮地に陥った。このときモスクワを救ったのが、満蒙周辺の対日本軍用に配備されていたシベリア師団だ。ソ連は、ドイツに備える以上の軍備を日本に対して保持し、満蒙国境近辺に配備していた。ソ連は、これらの軍団を何週間かかけてシベリアや極東から次々とモスクワ近辺に輸送して首都の防衛に当てた。

以下のページによれば、モスクワ攻防戦時に18個師団、戦車1700両、飛行機1500機以上がシベリアや極東からモスクワに向けて輸送されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

モスクワ攻防戦が始まった頃のドイツ軍の戦車数は約2千数百両であったから、極東からヨーロッパへ輸送された戦車千数百台が如何に貴重な物であったかが分かる。また、ソ連軍の飛行機の稼働数も数百機だったところに新たに千数百機が加わったのだから、その価値も計り知れない。師団数においても、ドイツ軍により壊滅させられたソ連西方面軍を補充するためにあまり役に立たない新兵を中心に全58師団が集められたが、その中でシベリア・極東師団の18師団分が実戦経験を積んだ精鋭部隊であったこともソ連側に大きく貢献した。これらの新兵力と冬将軍の前に、ドイツ軍はモスクワをわずか数Kmの眼前にしながら攻略できず次第に劣勢になって行った。

この独ソ戦の間、満州周辺のソ連軍はもぬけの殻の状態であり戦力が激減していた。第二次世界大戦末期のソ連軍の満州侵攻時とは逆の状態であり、もしも日本が極東やシベリアを攻めようと思えば容易く攻め取れた状態だったが、日本は日ソ中立条約を守り少しも手出しをしなかった。ソ連はこの時の日本による「恩義」を忘れて終戦時に蛮行(以下参照)を行い、恩を仇で返している状態だ。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02

さらに、あろうことか、極東の事情をよく知らないロシアの人口の8割を占めるヨーロッパ地域のロシア人マジョリティーの何割もが、「日本はドイツと軍事同盟を結んでいたから極東からは日本軍が戦争を仕掛けていたはずだ。それにより、祖国ロシアは被害を受けたはずだ」と思い込んでいたりする。そのため、「日独がロシアに大被害を与えたのに、今さら領土を返せと言うのは都合がよい」と激高するロシア人たちがかなり存在する。



まず、一国の大使として相手国の歴史を正確に把握しているべきガルージンに対して言いたいのは、ソ連邦時代に自国内で意図的に流布された「ソ連の栄光を捏造するための嘘」ではなく、真実に基づいた日本側の国民感情についてこそ考慮するべきだということだ。ソ連共産党が国民に対して騙しに騙しを重ねた「嘘の歴史」ではなく本当の歴史を知れば、北方領土というのはロシア側が胸を張れた代物ではなく「ソ連の負の遺産」であることを正確に認識できるだろう。

歴史を正確に認識することは重要なことだ。たとえば、ガルージンは「我々の国が2700万人もの犠牲者を出し」などとも主張しているが、これらの数字は誇張されたものだ。ソ連邦時代には「第二次世界大戦のソ連側犠牲者数は1500万人だ」と主張して西側の学者たちから「900万人くらいのはずだ」と批判されていたが、2700万人というのはあきらかにロシア人以外の犠牲者を含んでいる数字だ。今では独立国であるウクライナ・ベラルーシ・バルト三国の犠牲者に加えて東ポーランドやルーマニアなどの犠牲者も加えたものだ。それらの犠牲者の中には、ソ連軍がドイツ軍の捕虜となった者たち数百万人をナチスドイツから取り戻した後に「腰抜けの裏切り者」として処刑したり虐待死させた分や、ソ連軍が東欧戦線において民間人たちを戦闘に巻き込んだ分を多量に含んでいる。ロシアやソ連が長年無理に異民族を支配して領土を奪った結果、ソ連が散々に嫌われて各民族により独立運動や離反運動を起こされ、中にはNATO側に加わるほどにロシアを嫌っている他国人の犠牲者の分を「ロシアの犠牲者」としてカウントする神経が理解できない。また、近頃はソ連時代のように情報統制が行われておらずロシア市民たちがネットに自由に書き込めることにもよるのだろうが、上述した「バルバロッサ作戦」などは、一昔前の「ロシア軍ぼろ負け」の実情が「ロシア軍の奮闘」の記述の羅列によって見えにくくなっているようにも思える。ロシア国粋主義者たちが大手を振って闊歩するような社会というのは、戦前日本に右翼たちが蔓延った社会の二の舞になるのではないかと他人事ながら心配になる。

付け加えておきたいのは、屁理屈でも間違った歴史認識でも何でも、ここまで自国の利益を熱弁するガルージンのような外交官というのは立派だということだ。日本人としてはガルージンの言うことは決して認められないことだらけだが、彼がそこまで祖国ロシアのために嘘をついてまで熱弁をふるっていることはある意味、天晴でもありうらやましくもある。日本の外交官どころか民間メディアまで首相周辺だけのおかしな意見に「忖度」して、日本の方が正当も正当であることをほとんど主張せずにロシアの嘘に次ぐ嘘の主張にすべてを譲っている。さらに、日本の国内向けに新聞等が「正当な意見」を言っても、それにロシア大使が横から激しく噛みついてくるような状態だ。もしも、これと逆のことを日本の大使がロシアで言ったり行ったりしたのならば、ロシアから日本に向けてどれほど激しい抗議が起こることになるだろうか。少し日本側が何か言えば「内政干渉だ」と猛抗議するのがソ連やロシアの政策だ。ところが、日本に対しては、ロシアの大使は平気で「嘘による内政干渉」を行い日本の世論を誘導しようとしている。そう思うと、日本の政権はまともに日本人のために行動しているとは思えなくなってくる。皆が買収されているような売国奴による政権のように思えて情けない。
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ロシア人の対日戦争観 1

ソ連は終戦時に非常に汚いやり方で侵略行為を行い、大量に日本人民間人を殺した上に日本から領土を奪った。ソ連の行為は違法・不法であり、基準が厳しくなって来ている現代の国際法の下で承認される可能性はほぼ0だ。しかし、ロシア人たちの感覚は全く逆であり、当時のソ連が日本に行ったことに誇りを抱いている。なぜそうなったのかと言えば、ソ連邦時代にソ連政府が鉄のカーテンを利用して徹底的に嘘の情報を市民たちに教え込んでいたからだ。小中学校での教育はもちろんのこと、成人した市民たちに対しても映画館での本編上映前に政府宣伝用小編映画を流し、ラジオ・テレビなどでもしつこく嘘の教育を行っていたからだ。そのため、情報統制が緩くなった現在においても、ロシア人たちの対日戦についての感覚は、我々日本人の物とかけ離れている。ロシア人たちは対日戦についてそういう感覚を持っているため、ロシア政府の高官たちが平気で次の様な発言を繰り返している。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000148606.html
>タス通信によりますと、色丹島を訪れたイワノフ大統領特別代表は26日、「領土問題があると考えているのは日本だけだ」として「北方領土の引き渡しについて日本とロシア政府は一切、議論していない」と述べました。

ロシア政府の高官には、日本の主張や世論を抑え込むためのテクニックとして日本に対して敢えて強い主張をしているように見受けられる者たちもいるが、ソ連時代の嘘の教育が身に染みていて本当に心からそう信じて発言しているように思える者たちもいる。そのような者たちは、ソ連が終戦時(以降も)に行った以下のような蛮行の数々を知らない。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02

ソ連政府が「そのようなことは日本のでっち上げだ」と市民たちに宣伝しまくっていたためだ。1990年頃にグラスノスチ政策が行われて初めて、ソ連はシベリア抑留について謝罪の意を表わしたが、シベリア抑留はソ連国内で行われソ連に資料が残されていたから認めざるをえなかっただけだ。日本人民間人への虐殺行為や日本から降伏の意思が示された後に攻撃を開始したことなど、その他の外地で起こったソ連の傍若無人な違法・不法行為の数々についてはすべて無かったか「日本のでっち上げ」か「日本に責任がある」ということになっている。そのように、ソ連により捻じ曲げられた「歴史」を無邪気に信じているような者たちは、ソ連邦時代に教育を受けた今のロシア政府高官の世代の中に大量に存在している。次回は、そのような人物の典型を一人選んで考察の対象とさせてもらうつもりだが、今回は以下のような「ロシアの庶民感情」について、それがどのくらい史実とかけ離れているか考えてみたい。

http://www.news24.jp/articles/2019/02/07/10416357.html
>ステパノフさんにとって、北方領土とその周辺の島々は、多くの戦友が文字通り、命を懸けて獲得した領土で、日本への引き渡しには反対だという。

占守島というのは約20島ある千島列島の最北端の島であり、千島方面においてソ連軍が最初に侵攻した島である。占守島の戦いが起こったのは8月18日だ。日本はそれより4日前の8月14日にポツダム宣言を受諾し降伏する旨を連合国側に伝えていた。国内的には翌8月15日に玉音放送が行われた。それにより、英米欄軍などの多くは戦闘を止めた。占守島の日本軍も武装を解除し、弾薬や燃料などの半分を処分して帰国の準備をしていた。ところが、ソ連軍だけは8月18日深夜にいきなり砲弾を撃ち込んで日本軍のいた占守島に進撃して来た。米国のマッカーサーが占領政策を行うために厚木に降り立った時は爆弾や砲弾などは落していないのだから、ソ連軍の行動は明らかに平和的な占領政策をするためのものではなかった。このように、日本側から降伏の意思が伝えられたにも関わらず攻撃が開始された背景には、「終戦時のどさくさに紛れて北海道を占領する」という目的がソ連にはあったからだ。同じようなことが樺太でも起こっていた。当時の状況については、たとえば以下でよく説明されている。(私としては、右系チャンネルはあまり好きではないのだが)

https://www.youtube.com/watch?v=7LsUV0ZOuu4

深夜にどこの国のものともわからない軍隊が突然、砲弾を撃ち込んで攻撃してきたため、帰国の準備をしていた占守島の日本軍は大慌てになった。日本政府は、8月15日に終戦を宣言した後も現場の日本軍部隊に対しては「自衛のための戦闘はやむをえない」と承認していたため、日本側は急遽部隊を編成し直してどこの国のものかわからない軍隊に対して反撃を行った。やがて、敵がソ連軍と分かった。千島列島の日本軍は、米国との戦闘に巻き込まれずほぼ無傷なまま残存していたため戦力は充実していた。その結果、上陸して来たソ連軍をどんどん押し戻した。そして、ソ連軍を海岸に追い詰めて簡単に殲滅できる体制になった。このとき、自衛のための戦いであったから、日本軍はそれ以上の手出しはしていない。日本軍はその時から停戦交渉を行い、最終的に23日にソ連軍に投降して武装解除された。占守島の戦いの様子は以下によくまとめられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

この戦いは自衛のための戦いであったために、日本軍がソ連軍を明らかに殲滅できた状態であったにもかかわらず部隊を引かせている。だから、決して、元ソ連兵の言うようなソ連側が胸を張れる戦いではない。また、日本の降伏の後に占守島の戦いを起こしたソ連の侵略的な意図も、強く非難されるべきものだ。日本の降伏後に不要な侵略戦争を起こして双方合わせて千人を超える戦死者を出しておきながら自分たちの暴虐さを理解していないのだから、ロシア人の対日戦についての認識がよく現れた身勝手な元ソ連兵の「武勇譚」だ。ソ連時代はそういう「祖国の英雄」たちを賞賛して積極的に宣伝に利用していたのだから、ロシア人たちがいまだに対日戦について胸を張って自分たちの「栄光(本当は汚辱の塊)」を自慢している状態だ。対日戦については、そういうように間違った認識が今のロシア人全体に、特に極東の事情を知らないヨーロッパロシアに広く蔓延している。(以下参照)

https://ironna.jp/article/2415?p=2

https://digital.asahi.com/articles/ASLB34SXJLB3UHBI01N.html?_requesturl=articles%2FASLB34SXJLB3UHBI01N.html&rm=834
>郷土史の教師アナトーリ・シュルーブさん(68)は「17世紀にロシア人が島を発見。居住、調査、開拓をした。国際法上、ロシアの領土と認められる」と子供たちに教えているという。ロシアより先に日本が北方領土を発見・調査したという日本の主張とは真っ向から対立する。

ソ連時代にソ連政府が鉄のカーテンを用い情報統制を行ってロシア人たちを洗脳した影響が今でも強く残っている。ロシア人たちのこういう酷く間違った認識を正すことができない限り、領土交渉などありえないだろう!
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