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ロシア人の対日戦争観 2

前回説明したように、極東のロシア人たちは対日戦について酷く歪んだ「歴史認識」を持っているため、被害者であるこちら側はそれらを見聞きしているとひどく不愉快な気持ちになる。しかし、ヨーロッパ地域のロシア人たちの「歴史認識」も、極東のロシア人たちに負けず劣らず酷いものだ。ヨーロッパ地域のロシア人たちによれば、日本はドイツと組んでロシアに大迷惑をかけた「加害者」ということになっている。彼らは極東から数千kmも離れたヨーロッパに住んでいるため、他の国々のヨーロッパ人たちと同様に「千島列島がどこにあるのか」「カムチャッカ半島がどこにあるのか」さえ知らない。ましてや、70年も前に極東の地で起こった戦争の詳細についてはほとんど何も知らずに、ソ連邦時代に頭に叩き込まれた「日本は悪い存在であり祖国ロシアはもとより世界全体に迷惑をかけたから、ソ連は正義の戦いを行った。その結果、世界から感謝・賞賛されて北方領土を正当に領有することになった」などというとんでもない対日戦争観を持っている。そういう認識はロシア政府の高官たちにもよく見受けられるのであり、前大統領のメドヴェージェフがそうであり外相のラブロフなどもそうだ。次に述べるガルージン駐日大使もそういう意見の典型を主張している。ガルージンは北方領土については対日強硬派として知られていたが、プーチンはそういう人物を大使にして日本に送り込んだのだから、ロシアは領土問題を日本と話し合うつもりがないことが明白に理解できる。ガルージン駐日大使は、以下のように主張している。

https://jp.sputniknews.com/opinion/201807245153757/
>同意していただきたいのは、ロシア国民が、南クリルに抱いている感情も考慮されるべきだということです。南クリルが第二次世界大戦の結果、合法的にソ連のものになったということは、国連憲章によっても確定されています。我々の国が2700万人もの犠牲者を出して、ナチスドイツとその衛星国に勝利するにあたり最も重要な貢献をしたことは、覚えておくべきことです。

ソ連が北方領土を占領していることに対して法的・条約的な根拠が全く存在していないことは既に以下で説明した。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-01
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-03
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-04
 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-05

ガルージンの発言は、そういうソ連時代からの間違いやごり押しに加えて、次の重要な点を忘れている。

 ソ連がナチスドイツに勝つことができたのは、
 日本が日ソ中立条約を守ったおかげであること

この日本側からの「恩」については、北方領土の返還理由にこそなっても不法占拠を続けるための理由にはならない。一国の大使が平気で頓珍漢な発言を繰り返している状態だ。



まず、独ソ戦直前の状況を理解しておく必要があるだろう。

1939年、ソ連はナチスドイツと不可侵条約を結んだ。そのとき、ソ連はポーランドの分割・併合とバルト三国のソ連への併合についてもドイツと秘密協定を結んでいた。さらに、将来的なフィンランドのソ連への併合についてもヒトラーから内諾を得ていたと言われる。1939年9月ドイツがポーランドに侵攻すると直ちにソ連もポーランドに侵攻し、東西ポーランドを独ソで折半してポーランドという国を消滅させた。英仏などがドイツの侵略行為を責めるのであればソ連についても同様に責任を追及するべきであるが、ソ連は戦勝国として連合国に加わっているためにその責任はあまり追及されていない。ソ連は単に東ポーランドを併合しただけでなく、同国の復活運動を防ぐためにポーランド人の軍人や知識階級などの「国の頭脳」を何万人も抹殺した。後にソ連が行った軍人への虐殺事件であるカチンの森事件などが発覚するが、ソ連はグラスノスチ政策が行われるまで「ナチスのやったことだ」と強弁して譲らなかった。因みに、当時の東ポーランドはいまだにポーランドから奪われたままだ。ポーランド侵攻直後の1939年11月、ソ連は今度はフィンランド全土の併合を視野に入れながら、まずは領土の割譲を求めてフィンランドに侵攻した。「冬戦争」と呼ばれたこの戦いでフィンランドは圧倒的少数にも関わらずによく防戦したため相対的にソ連軍の実力が低く評価された。そのことがナチスドイツの判断を誤らせ独ソ開戦の一因になったと言われている。多勢に無勢のフィンランドは、結局、国土の10%を割譲させられて講和条約を結んだ。次にソ連はナチスとの密約通りに1940年6月にバルト三国に侵攻して併合した。また、それと同時期にルーマニアにも圧力をかけベッサラビアを割譲させている。

つまり、当時のソ連は「正義の戦い」など行っていない。

ナチスドイツが英仏蘭などの西欧諸国と戦っていた間、ソ連は東欧に侵攻して着々と領地を広げ、全欧州を東西でナチスドイツと折半して領有することが計画通りに進められていた。しかし、ドイツは英国戦線で行き詰ったため、ソ連を征服し欧州全土を掌握して英国に大陸から圧力をかけることを計画し始めた。この結果、1941年6月に独ソ戦が始まった。この時はまだ「連合国」などは存在せず、互いに不可侵条約を結んでいた日独ソの内の2国が仲違いを始めただけの状態であったことに注目しておく必要がある。

ナチスドイツのソ連侵攻作戦は「バルバロッサ作戦」と呼ばれる有名な作戦であるから、詳細を書く必要はないだろう。以下に、ウィキペディアの一例を紹介する。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B5%E4%BD%9C%E6%88%A6

バルバロッサ作戦が始まると、ソ連軍は戦車や飛行機など最新兵器の数や質において劣っていた上に不意を突かれたこともあり次々と敗北を重ねた。この侵攻作戦のとき、それまでソ連に抑圧されていた国々はナチスの味方をした。ルーマニアやブルガリア等はドイツの側に立って戦い戦後に敵国条項の対象国になり、ウクライナはナチスドイツ軍を歓迎して迎え入れたりもしている(ただし、後にナチスの真意を知るとナチスへの協力はなくなる)。ソ連軍は、6月の開戦後敗北に次ぐ敗北を続け、100万人単位の捕虜を出しながら10月初旬にはモスク近郊まで一気に押し込まれた。ドイツ軍の侵攻作戦の成功により、ソ連軍は戦車や飛行機のほとんどが潰されてモスクワが窮地に陥った。このときモスクワを救ったのが、満蒙周辺の対日本軍用に配備されていたシベリア師団だ。ソ連は、ドイツに備える以上の軍備を日本に対して保持し、満蒙国境近辺に配備していた。ソ連は、これらの軍団を何週間かかけてシベリアや極東から次々とモスクワ近辺に輸送して首都の防衛に当てた。

以下のページによれば、モスクワ攻防戦時に18個師団、戦車1700両、飛行機1500機以上がシベリアや極東からモスクワに向けて輸送されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

モスクワ攻防戦が始まった頃のドイツ軍の戦車数は約2千数百両であったから、極東からヨーロッパへ輸送された戦車千数百台が如何に貴重な物であったかが分かる。また、ソ連軍の飛行機の稼働数も数百機だったところに新たに千数百機が加わったのだから、その価値も計り知れない。師団数においても、ドイツ軍により壊滅させられたソ連西方面軍を補充するためにあまり役に立たない新兵を中心に全58師団が集められたが、その中でシベリア・極東師団の18師団分が実戦経験を積んだ精鋭部隊であったこともソ連側に大きく貢献した。これらの新兵力と冬将軍の前に、ドイツ軍はモスクワをわずか数Kmの眼前にしながら攻略できず次第に劣勢になって行った。

この独ソ戦の間、満州周辺のソ連軍はもぬけの殻の状態であり戦力が激減していた。第二次世界大戦末期のソ連軍の満州侵攻時とは逆の状態であり、もしも日本が極東やシベリアを攻めようと思えば容易く攻め取れた状態だったが、日本は日ソ中立条約を守り少しも手出しをしなかった。ソ連はこの時の日本による「恩義」を忘れて終戦時に蛮行(以下参照)を行い、恩を仇で返している状態だ。

 https://qvahgle-gquagle.blog.so-net.ne.jp/2019-03-05-02

さらに、あろうことか、極東の事情をよく知らないロシアの人口の8割を占めるヨーロッパ地域のロシア人マジョリティーの何割もが、「日本はドイツと軍事同盟を結んでいたから極東からは日本軍が戦争を仕掛けていたはずだ。それにより、祖国ロシアは被害を受けたはずだ」と思い込んでいたりする。そのため、「日独がロシアに大被害を与えたのに、今さら領土を返せと言うのは都合がよい」と激高するロシア人たちがかなり存在する。



まず、一国の大使として相手国の歴史を正確に把握しているべきガルージンに対して言いたいのは、ソ連邦時代に自国内で意図的に流布された「ソ連の栄光を捏造するための嘘」ではなく、真実に基づいた日本側の国民感情についてこそ考慮するべきだということだ。ソ連共産党が国民に対して騙しに騙しを重ねた「嘘の歴史」ではなく本当の歴史を知れば、北方領土というのはロシア側が胸を張れた代物ではなく「ソ連の負の遺産」であることを正確に認識できるだろう。

歴史を正確に認識することは重要なことだ。たとえば、ガルージンは「我々の国が2700万人もの犠牲者を出し」などとも主張しているが、これらの数字は誇張されたものだ。ソ連邦時代には「第二次世界大戦のソ連側犠牲者数は1500万人だ」と主張して西側の学者たちから「900万人くらいのはずだ」と批判されていたが、2700万人というのはあきらかにロシア人以外の犠牲者を含んでいる数字だ。今では独立国であるウクライナ・ベラルーシ・バルト三国の犠牲者に加えて東ポーランドやルーマニアなどの犠牲者も加えたものだ。それらの犠牲者の中には、ソ連軍がドイツ軍の捕虜となった者たち数百万人をナチスドイツから取り戻した後に「腰抜けの裏切り者」として処刑したり虐待死させた分や、ソ連軍が東欧戦線において民間人たちを戦闘に巻き込んだ分を多量に含んでいる。ロシアやソ連が長年無理に異民族を支配して領土を奪った結果、ソ連が散々に嫌われて各民族により独立運動や離反運動を起こされ、中にはNATO側に加わるほどにロシアを嫌っている他国人の犠牲者の分を「ロシアの犠牲者」としてカウントする神経が理解できない。また、近頃はソ連時代のように情報統制が行われておらずロシア市民たちがネットに自由に書き込めることにもよるのだろうが、上述した「バルバロッサ作戦」などは、一昔前の「ロシア軍ぼろ負け」の実情が「ロシア軍の奮闘」の記述の羅列によって見えにくくなっているようにも思える。ロシア国粋主義者たちが大手を振って闊歩するような社会というのは、戦前日本に右翼たちが蔓延った社会の二の舞になるのではないかと他人事ながら心配になる。

付け加えておきたいのは、屁理屈でも間違った歴史認識でも何でも、ここまで自国の利益を熱弁するガルージンのような外交官というのは立派だということだ。日本人としてはガルージンの言うことは決して認められないことだらけだが、彼がそこまで祖国ロシアのために嘘をついてまで熱弁をふるっていることはある意味、天晴でもありうらやましくもある。日本の外交官どころか民間メディアまで首相周辺だけのおかしな意見に「忖度」して、日本の方が正当も正当であることをほとんど主張せずにロシアの嘘に次ぐ嘘の主張にすべてを譲っている。さらに、日本の国内向けに新聞等が「正当な意見」を言っても、それにロシア大使が横から激しく噛みついてくるような状態だ。もしも、これと逆のことを日本の大使がロシアで言ったり行ったりしたのならば、ロシアから日本に向けてどれほど激しい抗議が起こることになるだろうか。少し日本側が何か言えば「内政干渉だ」と猛抗議するのがソ連やロシアの政策だ。ところが、日本に対しては、ロシアの大使は平気で「嘘による内政干渉」を行い日本の世論を誘導しようとしている。そう思うと、日本の政権はまともに日本人のために行動しているとは思えなくなってくる。皆が買収されているような売国奴による政権のように思えて情けない。
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